「南は獲る人、北は食べる人」
エビフライ,天ぷらなど,一人平均で年に七○匹.世界一のエビ消費国・日本は,その九割を輸入に頼っており,エビはいまや輸入食品の中でも首位の座にある.だが,一体どこでどのように獲られているのか.インドネシアでトロール船に乗り,台湾で養殖の実情を見るなど調査を重ねてきた著者が,日本とアジアとの知られざる関係を語る.
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1 エビを獲る人びと
──トロール漁の現場──

クルマエビ バナナ

真珠とエビ──インドネシアの海で

 ニューギニア島の形を恐竜の姿に喩えるならば、その恐竜の頸の、ちょうど下部(南部)にアル諸島が浮かんでいる。南緯六度、アラフラ海に浮かぶこのアル諸島近海は、恐竜の上半身(インドネシア領イリアン・ジャヤ)の近海域とともに、エビの大生産地である。ここで獲られるエビは、ほとんど全量が冷凍パックにされ、日本に運ばれる。

 アル諸島にあるドボという小さな町の名を知る戦前派日本人は、結構多いのではないだろうか。しろちようがい(真珠の母貝。ボタンにも使われる)や高瀬貝(ボタン用)の採取地で、和歌山県などからやって来たダイバーが活躍した土地だからだ。このダイバーたちの足跡は、いまもドボに残っている。日本人墓地である。といっても、墓地はすでになく、いまは家が建っている。墓地だったとおぼしきところに建った家の土台石や踏み石として、墓石が無惨にもというのか、有効にもというのか、土地の人びとに利用されている。日本から運ばれた花崗岩の墓石は、往時の貝採取の繁栄ぶりをうかがわせる。その墓碑のいくつかは、まだ読みとれる。

沖縄県島尻 行年弐十五才

昭和十三年十一月一日没

 ダイバーたちは、自分たちの潜った海底を、日本のエビ・トロール船が網をくなどとは想像もしなかっただろう。ダイバーたちの伝統の上に、いまアル諸島(マエコル島のファトゥジュリン)で、日本の真珠会社が養殖真珠を生産している。エビと白蝶貝採取とが、ここの海では競合している。さらに、もっと長い歴史をもつナマコも、島の人びとは獲っている。これは中国に輸出されている。また、ヨーロッパなどに輸出されるアガルアガル(寒天の原藻になる海藻。オゴノリ科の植物)も、この海域で獲られている。

 「イリアンの方には人があまりいないから、トロールでエビを獲っても、漁民に被害はないですよ」と言ったのは、ジャカルタで会った日本の商社の人だった。しかし、アル諸島だけでも、一二二のカンポン(集落。正式には行政村デサ)があり、四万四〇〇〇人余の住民が住んでいる。この人たちは、海の宝に囲まれて生活してきた。ナマコ、フカのヒレ、タイマイ(大型のウミガメ、べっ甲用)、テングサ、白蝶貝(真珠)、高瀬貝、えん(中国料理用ツバメの巣)、さらにはジュゴン(海獣、食肉用)などである。エビもたしかに海の宝ではある。しかしエビ・トロール漁は、地場の生活とかけ離れたところで成立している。住民にとっての海の宝を、エビ・トロール船が破壊していることが、島の人たちにもだんだん分かってきた。

 インドネシア、とくにイリアン、アル諸島近海で日本のトロール船が操業を開始するのは、一九七〇年前後のことである。当時、試験操業に立ち会ったことのある、ある日本人は「海の色が黄色くなるくらい、エビが産卵していた」と語っている。エビ業者は、よく「エビがく」とも表現する。正確な表現かどうかは分からない。あるいは、海が黄色くみえるほどにエビが踊っていたのかもしれない。

「海の銀座」

 エビの産卵で黄色くなった海の話を思い浮かべながら、アラフラ海でトロール船に乗せてもらった。一九八六年三月のことである。同乗してくれた日本人技術者のN氏が説明してくれた。

 「ここは『海の銀座』なんて言われています。それほどトロール船の往来が激しいんです。海底は『高速道路』のようにツルツルですよ」

 黄色かった海、その海底がハイウェイになった。トロール船の網とチェーンが海の宝を根こそぎにしてしまったのだろうか。東京でエビを食べることが、三〇〇〇キロ近く離れた海の色と海底の地形に直結している。そんなリアリティーを、小さな木造トロール船の上で私は感じた。

アル諸島近海で操業中の木造トロール船

 アル諸島近海でエビ漁をしているこの木造トロール船は、陸上に冷凍加工設備をもつ華人系の会社に所属している。エビを冷凍加工する業者は「パッカー」と呼ばれ、トロール船を所有し操業したり、漁民や養殖池主から買付けをしたりしている。輸出業者を兼ねてもいる。

 この会社は一六七トンの鉄船六隻、九〇トンの鉄船一隻、二二〜三三トン(インドネシアのトン数計算。日本の換算では一〇トン程度という)の木造船三三隻を所有し、冷凍工場のほか、フィッシュ・ミール(魚粉)工場や小型飛行機の離着陸できる滑走路ももっている。従業員は約三〇〇人。同社の船着場と、その周辺にある冷凍工場、宿舎、売店、滑走路、船のドックは、日本向けエビ生産のためにのみ建設された。「リトル・エビ・タウン」ともいえるところである。日本人技術者が二人、エビ操業、冷凍加工全体を指導・監督するために会社との契約で滞在している。ほかに船長一人、機関長一人も日本人だった。

 山口県の下関水産講習所出身で、大手水産会社から出向しているN氏が、一緒にトロール船に乗り、細かに説明をして下さった。

 島影が視界から消えることのないような水深一〇〜二〇メートルの浅瀬で、エビ・トロール網を曳く。小型木造船には通常三〜四人の乗組員が乗っている。二〜三ノットほどのゆっくりした速さで網を曳いている。一回の操業は三時間半、一日六回くらい網をあげる。これが限度だとN氏は言う。小型木造船は大きな鉄船とは異なり、網は一つ、船の真うしろから曳っぱる。フロリダ式トロール船と呼ばれる鉄船だと、船中央部から左右にアウトリガーを倒し、両舷で網を曳き、さらに船尾から漁況を見るトライネットも曳いている2 エビという生き物の図8参照)。木造船の一航海は五日から一週間、獲れたエビを氷詰めにして持ち帰る。鉄船の場合は六〇日、長い場合一二〇日にも及ぶ。当然、エビは船の中で冷凍(船凍)される。

 小型木造船といっても、底曳きの仕方に変わりはない。網を二本のロープで曳くとき、網口が閉じてしまわないよう開口させる役割を果すオッターボード(拡網板)と、海底を曳きずり、エビを網口へと導くための鎖(ティックラ・チェイン、エビ起しチェイン)は装塡されている。

 波はほとんどない。緑色のあたたかい海に、スコールが襲う。イルカが木船を追いかけ、追い抜いてゆく。ワープ(曳綱)が動力で巻き上げられ始めた。最後は船の中央部右舷にある滑車のついたマストを利用し、船員たちの人力を利用して網が曳きあげられる。エビがピチピチ踊る姿を思い浮かべ、胸がワクワクしてくる。

 網底の袋尻からざあっと獲物がデッキに拡がった。泥、砂や、緑の海草に混ざって、いちばん目につくのが銀色の薄い小魚、ワタリガニが五、六尾、それほど大きくない甲イカも数尾、ナマコが三つ四つ、これを隠すように各種のゴミ。エビはどうしたのだろう。船員が手ぎわよく獲物をり分けている。その中から、ときどきエビが顔を出す。ピチピチは跳ねない。

 「バナナですよ」と、N氏が教えてくれる。通称バナナ(Banana prawn)と呼ばれているクルマエビ科クルマエビ属(Penaeus)に属するエビである(学名 Penaeus merguiensis)。エビに、ほかならぬバナナという名がついているのがおもしろい。色はやや黄色味を帯びた白色、体長は大きくて二〇センチほど、一五、六センチのものが多い。海が黄色くなるというのは、このバナナのせいか、と思い出す。しかし、いま網に入ったエビでは海を黄色くするには程遠い。エビ類では、バナナ以外にも小型の縞模様のタイガー(P. monodon)が十数尾、それに「歩くエビ」に分類されるファン・ロブスター(fan lobster, locust lobster セミエビ)が結構入っている。

 結局のところクルマエビ属のエビは両の手で持てるほど、せいぜい数十尾、二キロほどしか獲れていない。一時間網を曳いて二キロ、それが多いのか少ないのか……。漁を終え、浜にもどってから、N氏は嘆息まじりに説明してくれた。

 「まあ、シーズンじゃないこともありますけど……、獲れませんねえ。木造船だと一週間曳いて四〇〜五〇キロなんてこともありますよ。油代も出ません。一日四〇〇〜五〇〇リットルの油を使いますからね。鉄船でも昨日の最高が一四四キロ、いちばん少ない船は九〇キロです。一四〇〇リットルの油使ってこれじゃあ、たまりませんよ」

 ちなみに八六年三月当時、重油の価格は、五〇〇リットルで一二〜一三万ルピア(約二万円)だった。仮に船からの水揚げエビ価格を一キロ四〇〇〇ルピアとすると(実勢に近い数値と思われる)、一二万ルピアの油代だけを出すためにも三〇キロのエビを獲らねばならない。船長、船員への支払い、その他諸々のコストを考えれば、最低でも、木船でおそらく一日六〇キロ、鉄船の場合だと二〇〇キロも獲らねば採算がとれないのではないだろうか。エビは石油の大量消費で獲られていることを知った。

雑魚ざこはスコップで海へ

 三日後、また同じ型の木造トロール船に乗ることができた。アル諸島は小さな原生林の島々の集まりで、その島と島を区切るのは、川と呼ぶほうがふさわしい狭い水道である。ドボのある西海岸から、ウォカム島とコブロール島を隔てるマヌンバイ水道を抜け、東海岸に出る。水道沿いにいくつかの集落(カンポン)がある。

 一〇〇戸位の小さなカンポンには、警察官も軍隊もいない。家はほとんどおなじくらいの大きさで、貧富の差の少ない社会のように見受けられる。人びとは、船もカヌーも自前でつくっている。水ガメも焼いてつくる。六〇キロの水道には、ところどころマングローブ樹が密生している。マングローブ林はエビの〝保育園〟の役割を果している。水道を抜けたあたりで網を入れる。このあたりは好漁場なのか、ほかにも三、四隻が網をゆっくりと曳いている。ほとんど海岸線すれすれまで、トロール船は侵入している。

 私たちの乗ったトロール船は、スマトラ中西部リアウ州バガンシアピアピで建造された「チュンキン」と呼ばれる型の船である。バガンシアピアピは福建系華人の町ともいえるところなので、チュンキン船は華人がマラッカ海峡にもたらしたものなのだろう。やや平底型のチュンキン船は、マラッカ海峡では操業できなくなった。八〇年七月の大統領令第三九号はジャワ島周辺水域でのトロール漁を禁止、翌八一年からスマトラ水域でのトロール漁を禁止したからである。八三年一月一日以降は、インドネシア全海域で底曳きトロール漁が全面禁止となった。ただし、前に述べたように、イリアン海域だけは、改良網(アメリカン・ネット)を装着するという条件で、トロール漁が認められている。チュンキン型の木造船が大量にアル諸島周辺に現れたのは、そのためである。

 インドネシアの漁業に詳しい山本忠氏(日大)によれば、インドネシアでのトロール漁業発祥地はバガンシアピアピと西カリマンタン(カリマンタン島、旧ボルネオ島)で、いずれも華人漁民が始めたものである。とりわけ、バガンシアピアピのトロール漁、船の建造はインドネシアに広く影響を与えたという。

 のんびりとクレテックたばこ(ちよう入りたばこ)ばかりふかしていた四人の船員は、船長の号令で網をいれる。まだ年端もいかぬあどけないぐりぐり頭の炊事係の少年も、網入れを手伝う。船長も三〇歳くらい、ヒゲが立派だ。一時間ほど網を曳いた。バナナが三キロほどあがった。キンメダイのような赤い魚も数十尾獲れた。エビと赤い魚を残し、ゴミと一緒に雑魚(くずうお)はすべて海中に捨ててしまった。ワタリガニも、甲イカも捨てた。

 この会社のために弁明しておくと、この会社は前述のようにフィッシュ・ミールの工場をもっている。だから、雑魚といえども通常は持ち帰るのである。しかし、一般に冷凍施設まで備えた大型トロール船は航海期間も長いため、雑魚など保存してはおかない。そんなスペースがあればエビを積み込む。市場(といっても日本市場であるが)に運んでも儲けにもならない魚は捨ててしまうのが常である。ハビビ大臣の発言は正しかったのだ。

 この現場を見て、あらためて思い出した。八二年八月、東京水産大学で「日本のエビ・世界のエビ」と題する公開講座があった。エビの知識に飢えていた私たちは、勇んで参加した。素人の私たちにとっては、得るところの多い講座だった。二〇〇人を超えるほどの参加者に、まずビックリした。だんだんに分かったことだが、実は参加者のほとんどは業者筋の人たちだった。エビがかくもカネに直結していることに、こんどはあらためてビックリした。

 私は業界的雰囲気にちょっとあらがうかのように、質問した。

 「トロール漁で獲られた雑魚は海に捨てられ、蛋白が損われるという声が東南アジアから聞こえてきますが、どうなんでしょうか? また、零細漁民が漁場を荒らされ、困ったあげくにトロール船を焼き打ちにしたとのニュースもありますが、どうなんでしょう?」

 水産学界では著名な(と後に知った)教授は答えた。

 「そんな話、どこで聞いたんですか!」怒鳴るような荒々しい声である。なぜこんなに色をなしたように答えるのだろうか。しかし業界の人、とりわけ現場に近い人たちは、先の質問のようなことはよく知っていることである。アンボン島でもそんな話は聞いていたし、その後、私たちが東南アジアの海辺を歩いて、何度も見聞したことでもある。インドネシア政府がトロール漁禁止に踏み切ったのも、資源保護、零細漁民保護が背景にあるからだ。あの教授の怒りは何だったのか、今でも分からない。トロール船の甲板では、船員たちがスコップで雑魚を海に投げ捨てているではないか。

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1 エビを獲る人びと──トロール漁の現場──(2)

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