本書は、太平洋戦争下の「大本営発表」について具体的な考証を試みた書である。今やこの語は歴史のなかで記憶が薄れていく語である。
実際に、「大本営とは何か」「大本営発表とはどういう意味か」との問いを、私もしばしば耳にする。私は、この言葉が死語であることに不安をもっている。つまりこの語には「言論が一元化されたときの社会の大きな歪み」が含まれていると思うからだ。日本の指導層に位置する人(たとえば官僚などがそうだが)は、常に自分だけに都合のいい情報を流そうとしている。その立場からいえば、「大本営発表」とはなんとも便利なシステムであり、便利な語なのである。その分だけ、国民が「知る権利」から…
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