地震、気候変動――世界一の掘削船が明らかにした地球の事情
巨大地震、生命誕生、気候変動——。地球を掘って謎を解く! 地球科学の歩みと現在がすっきりわかる入門書。

第一章 プレートテクトニクスの創造──深海掘削計画の働き

一-1 大陸移動説から海洋底拡大説へ

ウェゲナーの大胆な仮説

 一九一〇年代、ドイツの気候学者アルフレッド・ウェゲナー(Alfred Wegener)は、大西洋を挟んで東西の大陸の海岸線(主にアフリカ西岸と南アメリカ東岸)が、ちょうどジグソーパズルのピースのように互いにぴったりくっつくことに気が付いた。さらにオーストラリア、南極など他の大陸についても、うまく合わせると、すべての大陸があたかも一つの大きな大陸に合体できることをいだした。

 すでにこの頃までに、大陸内部の地質を調査していた地質学者は、古生代の石炭紀から二畳紀にかけて(約三億年前~二億五〇〇〇万年前。地質時代については表1を参照)、アフリカ、南アメリカ、オーストラリアにおいて大陸氷河が発達した証拠を発見していた。

 すなわち、氷河によって作られた岩盤表面の削り跡や氷河の運んだれきから構成される類似の地層が、それぞれの大陸に分布することが知られていたのである。ウェゲナーはこれに注目し、昔、大陸が一つであったと仮定すれば、これらの地層の分布が、ひと続きの大きな氷床の存在(たとえば現在の南極大陸のような例)によってうまく説明できると考えた(図11)。

 さらに彼は、地層から掘り出された化石の類似性にも注目し、たとえば、アフリカ大陸と南アメリカ大陸は、古生代から中生代の初めまで、両生類の仲間や植物化石などにおいて多くの類似した固有の化石を産出するが、それ以降の時代になると類似性が著しく低下することを発見した。

 このことは、アフリカ大陸と南アメリカ大陸は、古生代を通じて一体であったが、中生代の中頃(約二億年前)には分離し、動物や植物の進化が別々に起こったことを示していた。

 このようにしてウェゲナーは、古生代後半に一つの超大陸(パンゲア)が地球に存在し、その後それらが分裂移動して現在のように分かれたと考えた。この考えを大陸移動説(以下、本文中の太字部分については、巻末に用語解説あり)と呼び、これを学会に発表した。

 しかし当時、この考えはあまりに先駆的であり、また、その時代の科学水準では、大陸移動の原動力が説明できなかった。大陸移動説は、学会での主流な学説とはならず、時とともに次第に忘れ去られていったのである。

海底探査から大陸移動説が復活

 大陸移動説が予想もしない形で復活するのは、調査技術の革新が起こってからである。主役として登場したのは、それまでスポットライトを浴びることの少なかった深海底の研究であった。

 第二次世界大戦中から引き続き、アメリカでは、音波を用いた軍事技術を応用し、海底地形や海底下の構造を探査する研究が推進されていた。研究の中心となったのが、コロンビア大学ラモント地質研究所のモーリス・ユーイング(Maurice Ewing)の率いるグループであった。

 船から海底に向かって音波を発信すると、それは「こだま」のように海底で反射して戻ってくる。したがって、発信から受信までの往復時間を正確に測定すれば、海の深さ(水深)がわかる。音波が海中を伝わる速度は約一五〇〇m/秒なので、仮に往復四秒で音波が返ってくれば、水深は三〇〇〇mである。この方法を音響測深と呼んでいる。

 戦後、音響測深の技術が進み、海底の地形の正確な姿が次第に明らかになってきた。その結果、大西洋の真ん中に高くそびえる雄大な海底山脈の存在がわかってきた。この高まりは、大西洋中央かいれいと名付けられた。

 さらにユーイングらは、大西洋中央海嶺において地質構造の探査を行った。

 船尾よりえいこうしたエアガンという装置を使い、高圧の空気を海中へ一気に放出することで、大きな音を発生させる。発生した音波は、波長が長く、十分に大きなエネルギーを持っているので、海底で反射するだけでなく、さらに海底下の地層へと伝わってゆく。地層に伝わった音波は、異なる岩石層の境界面で反射して戻ってくる。これを受信して解析すれば、地層の厚さやしゆうきよく、断層などの地質構造を調べることができる。

 エアガンから発信される音波は、地震の縦波(物体が圧縮されたり引き伸ばされたりする波動。弾性波とも呼ぶ)と同じ性質を持っているので、これを反射法地震波探査と呼んでいる。

 反射法地震波探査の結果、大西洋では、中央海嶺の中軸部を挟んで両側に対称形をなす地質構造の存在が明らかになった。すなわち、中軸部において海底にはごつごつした岩石が露出しており、これを覆うたいせきぶつがほとんど認められない。一方、海嶺中軸部から離れるにしたがって、海底には堆積物が蓄積している様子が読み取れたのである(図12の拡大図)。

 陸から遠く離れている大西洋中央部の海底には、主にプランクトンの遺骸などが時間をかけて雪のように降り積もる。したがって、中央海嶺の中軸部のように堆積物がほとんど認められないところは、海底ができてから時間があまり経っていないこと、中軸部から離れるにつれて両側で地層が厚くなっているということは、海底のできた年代が中軸部から離れるほど古いということを示している。ここに、「海洋底は中央海嶺で誕生し、両側へと広がっている」との考えが誕生した。これを海洋底拡大説と呼ぶ。

海洋底拡大説の証明

 一九六〇年代に入ると、海洋底拡大説はさらに大きな進展をみせた。

 たとえば、中央海嶺と呼ばれる海底の高まりは、実は海底の活火山が地球をぐるりと取り巻くようにして連なる大山脈であることが明らかにされた。

 とりわけ、「中央海嶺の中軸部では、地下から噴出するげんがん質マグマが冷え固まり、これが海洋底を形成し、その上に堆積物を少しずつ堆積させながら横方向へ移動し、最終的には海溝に沈み込み、マントルに消える」というハリー・ヘス(Harry Hess)やロバート・ディーツ(Robert Dietz)の考えは、それまでの地球観を大きく塗り替えるようなものであった(12)。

 この考えをめぐって学界は高揚期を迎え、世界中の研究者が海洋底拡大説の妥当性について議論を続けた。

 その結果、直接的な検証の方法として、ユーイングの調べた大西洋中央海嶺を例として、海底を掘削(ボーリング)し、海嶺から離れるにしたがって海底の年代が古くなること(すなわち、海底を造った火山岩の直上に堆積する堆積層の年代を測定すること)、そして、その下の海底の岩盤(堆積物の下の火山岩の層)が、マグマの固まった玄武岩溶岩から成り立っていることを証明すればよいとの提案がなされた。

 その提案に沿って、深海から直接岩石や堆積物を採取する計画が米国を中心として立案された。この計画は、数年の暫定期間をおき、一九六八年より深海掘削計画(DSDP=Deep Sea Drilling Project)として発足し、世界の研究者が注目するなか、大西洋底の掘削が実施されたのである。

 掘削結果は、海洋底拡大説を見事に実証した。海嶺からの距離と海底の形成年代は、比例関係を示したのである(図13)。海洋底は年間四cmほどの速度で両側へと拡大していた。これによりアフリカ大陸と南アメリカ大陸の分裂もまた証明された。この成果は、二〇世紀における最大の科学的発見の一つであったと言ってよい。

 しかしながら、それを可能にした深海掘削計画の誕生までの道程は、決して平坦なものではなかった。

第一章 プレートテクトニクスの創造――深海掘削計画の働き(2)

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