一九八五年に東京大学海洋研究所に赴任した著者の一人、平は、小林和男とともに国際深海掘削計画(ODP)の推進に従事することとなった。当時、ODPは、新船ジョイデス・レゾリューションを使った新しい計画に移行したばかりであり、参加各国は新たな意欲を持って計画推進に取り組んでいた。
我が国も文部省(当時)の支援のもと、海洋研究所が国際的な対応や国内研究の推進など計画の窓口となった。
日本の研究者の興味は、日本周辺海域のテクトニクスや古環境変動などであり、それらを支援するために、新しい調査機器の導入やそれに基づいた事前調査の実施などを進めていった。
当時、我が国の研究者の多くは、国際深海掘削計画につい…
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