政治は大衆の欲望に基づくべきではない
民主主義のアップデートは可能か。「空気」を可視化し、合意形成の基礎に据えられないか――刊行時、活発な議論を招いた重要書。

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第一章

 筆者はこれから夢を語ろうと思う。それは未来社会についての夢だ。わたしたちがこれからさき、二一世紀に、二二世紀に作るであろう社会についての夢だ。

 あらゆる夢と同じように、筆者の夢もまた、断片的で矛盾だらけで、欠陥が多く混乱に満ちている。だから筆者はこの原稿を、論文としてではなく、エッセイとして記すことを選んだ。

 その選択はもしかしたら、この二〇年のあいだ人文科学で、というよりも思想や批評の世界で主流だった、註釈と参考文献ばかりが多く過度に防衛的な論文のスタイルに慣れた読者には、とてもいいかげんで頼りないものに映るかもしれない。

 したがって本書は、もしかしたら、少なからぬ読者を失望させ、本来届くはずのひとに届かないかもしれない。それはとても残念なことだ。しかし筆者は、まさにその、思想が陥っている不自由さを乗り越えるためにこそ、いまは大胆に夢を語り始めるべきだと考えたのである。註釈と参考文献に埋もれていたのでは夢は描けない。そして夢のないところには、未来もなければ、思想もないのである。

 筆者は、未来を作る人々のために思想を紡ぎたい。

 本書がこれから語る夢は、二つのまったく異なった知的欲望、知的文脈の交差点で成立している。

 そのひとつは、いまから二世紀半前に記された政治思想の古典中の古典、ジャン゠ジャック・ルソーの『社会契約論』である。人民主権を説き、「一般意志」の理念を提出し、近代民主主義の起源だと広く考えられているこの著作は、実際にはかなり謎めいたテクストで、歴史的にもさまざまな議論を呼んでいる。本書の夢はまずは、この書物の記述を、文字どおり、素朴にベタに解釈するところから始まる。そこに立ち上がる「一般意志」のイメージが、いまわたしたちが漠然と抱いている「民意」や「世論」と大きく異なることに読者は驚くだろう。

 そしてもうひとつは、この二〇年のあいだ、経済と社会の様相を根本から変えてしまい、そしていまも変えつつある技術的な革新、いわゆる「情報技術革命」である。オープンソース、アジャイルソフトウェア開発、ウェブ20、ユーザージェネレイテッドコンテンツ、クラウドコンピューティングなどなど、無数のバズワード(流行語)が数年単位で現れては消える、その世界の動向を要約するのはたやすいことではない。しかしそれでも言ってしまえば、パーソナルコンピュータが普及しインターネットが現れた一九九〇年代以降(注1、その「革命」が一貫して目指してきたものとは、グーグルの創業理念を借りれば、「世界中の情報を体系化し、どこからでもアクセス可能で有益なものにする」ことだったと要約することができる(注2。そして筆者は本書で、その「世界中の情報を体系化」というさりげないひとことがいかに二世紀半前の「一般意志」の構想と響きあっているのか、時代を超えた呼応関係について語りたいと思う。

 ルソーの時代には「一般意志」は、まったくの虚構、『言語起源論』における「詩人の言語」や『人間不平等起源論』における「野生の人」と同じような、議論を進めるために必要なひとつの仮定でしかなかった(注3。彼はおそらくは、その「一般意志」なるものが目に見えてさわれるようになることなど、想像もしていなかった。しかし、それから二世紀半の時間が経ち、わたしたちはいまや、ルソーのその仮定を、神秘主義ぬきで、技術的に「実装」することができる新しい可能性を手に入れている。筆者がこれから語ろうとするのは、そのような夢である。

 わたしたちは近代の民主主義社会に生きている。あくまでもその枠組みのなかで、国家について、政府について、公共性について、市民について考えている。しかしもしその起源の場所に、それらすべての枠組みを転倒し、のちに長いあいだ抑圧されることになったある不可能な「欲望」が刻まれ、しかもそれが、二世紀半を経ていままさに別のかたちで浮上し顕在化し、「症状」として白日のもとに飛び出しつつあるのだとしたら、どうだろうか。

 筆者はさきほど、本書では夢について語ると記した。夢といえばフロイトの精神分析が思い起こされる。

 フロイトは有名な『夢解釈』で、夢の分析を、「源泉」と「材料」、「夢思想」と「夢内容」を区別するところから始めている。彼によれば、夢を正確に分析するためには、夢見た言葉や映像をそのまま受け取ってはならず、背後に隠れた「思想」、欲望の「源泉」を摑まなくてはならない。その区別を借りるならば、本書の主題は、一般意志という「夢思想」が、情報技術という「材料」を用いていま新たに紡ぎ出しつつある近代の夢を可視化すること──そんなふうに表現してもよいのかもしれない。

 本書は夢について語る。しかしそれは、決して筆者個人の夢ではなく、おそらくは近代社会が長いあいだ忘れ続けてきた夢なのである(注4

 それでは、さっそく夢のなかに入っていくこととしよう。まずはジャン゠ジャック・ルソーという思想家について、いくつかの前提を確認しておきたい。

 ルソーは一七一二年生まれ。ジュネーヴで誕生し、のちパリで活躍した。一八世紀のフランス語圏を代表する思想家で、現在では、さきほども挙げた政治思想の書、一七六二年に出版された『社会契約論』でもっともよく知られている。この書物は思想史的には、ホッブズの『リヴァイアサン』、ロックの『市民政府論』に続く社会契約説の古典とされ、人民主権の理念を説いてフランス革命に決定的な影響を与えた。前述の「一般意志volonté générale」とは、人民の総意を意味するルソーの造語である。──と、このあたりまではおそらく高校の授業でも習うところだろう。

 しかし実際には、ルソーはじつに多才な人物だった。彼の総体を摑まえるには、思想家というよりも、「文筆家」というもう少し軽めの名称のほうがよいかもしれない。ルソーは決して職業的な哲学者ではなく、その仕事は、教育論から告白小説、恋愛小説、さらには歌劇の作曲まで多岐にわたっている。そしてそのいずれもが(歌劇は例外として)、多大な影響を後世に与えている。たとえば桑原武夫は、『ルソー研究』の冒頭をつぎのような言葉で始めている。「主権在民、平等思想、社会主義、ロマンティシズム、告白文学、民衆芸術、ヒューマニズム教育、[……]いずれをとっても、これを根本的に理解しようとして溯るとき、必ず逢着せずにすまされぬもの、それがジャン゠ジャック・ルソーなのである」。「近代を知ろうとするものは、ルソーを知らねばならない(注5」。

 ルソーの複雑さは伝記的な事実からも明らかである。ルソーの思想はいまでは、同時代のディドロ、ダランベールなどの「百科全書派」と並べて位置づけられることが多いが、実際には晩年の彼は百科全書派を忌み嫌い、パリのサロンとは距離を置いて孤独に思索に耽ることを好んだ。他方で彼は『社会契約論』の出版の前年、一七六一年に恋愛長編小説『新エロイーズ』を上梓してもいる。この小説ははたいへんな熱狂を呼び、ルソーの名を一躍世に知らしめることになった。『新エロイーズ』は、一八世紀におけるフランスで最大のベストセラーだとも言われている。

 つまりはルソーは、彼が生きていた時代においては、『社会契約論』の著者としてよりは『新エロイーズ』の作者として、硬派な政治思想家としてよりもむしろロマンティックな恋愛小説の書き手として知られていたのである。ルソーといえば、いまではまず思想家という印象があるが、当時の受け止められかたは異なっていたのだ。このことは頭に入れておいていただきたい。

第一章(2)

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