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1章 性的虐待の基礎知識

定義は何か

 「児童虐待の防止等に関する法律」(成立二〇〇〇年、改正二〇〇四年・二〇〇七年)では子どもへの虐待を次のように定義している。

(児童虐待の定義)

第二条 この法律において、「児童虐待」とは、保護者(親権を行う者、未成年後見人その他の者で、児童を現に監護するものをいう。以下同じ。)がその監護する児童(十八歳に満たない者をいう。以下同じ。)について行う次に掲げる行為をいう。

一 児童の身体に外傷が生じ、又は生じるおそれのある暴行を加えること。

二 児童にわいせつな行為をすること又は児童をしてわいせつな行為をさせること。

三 児童の心身の正常な発達を妨げるような著しい減食又は長時間の放置、保護者以外の同居人による前二号又は次号に掲げる行為と同様の行為の放置その他の保護者としての監護を著しく怠ること。

四 児童に対する著しい暴言又は著しく拒絶的な対応、児童が同居する家庭における配偶者に対する暴力(配偶者(婚姻の届出をしていないが、事実上婚姻関係と同様の事情にある者を含む。)の身体に対する不法な攻撃であって生命又は身体に危害を及ぼすもの及びこれに準ずる心身に有害な影響を及ぼす言動をいう。)その他の児童に著しい心理的外傷を与える言動を行うこと。

 この「二 児童にわいせつな行為をすること又は児童をしてわいせつな行為をさせること」が性的虐待の日本の法的定義になる。刑法上の「わいせつ」という用語がここでも使われているわけだが、実はあいまいな定義である。

 「わいせつ」という日本語は、「男女の性に関する事柄を健全な社会風俗に反する態度・方法で取り扱うこと。性的にいやらしく、みだらなこと」(『広辞苑』第六版)、法律上は「いたずらに人の性欲を刺激し、正常なしゅうしんを害して、善良な性的道徳観念に反すること」(『大辞泉』)を意味する。何をもって「いやらしく、みだら」で「性的道徳観念に反する」とみなすかは人によって大きく異なるので、もっと客観的な判断基準による定義が不可欠である。

 さらに日本の児童虐待定義の最大の問題点は、児童虐待を「保護者による」行為と限定していることである。これは児童福祉法(第二八条)以来の日本の慣例だが、国際的にはきわめて異例である。米国でも英国でも他の多くの国々でも「保護者による」と限定する児童虐待の定義はしていない。

 子どもは家庭の外でも虐待にあっている。児童虐待防止法の第三条では「何人も、児童に対し、虐待をしてはならない」と明記しているのだから、第二条の保護者と同居人に限定された定義は矛盾を起こしている。この定義では、保育所、学校、塾、知人宅などでの身体的虐待、性的虐待、食事をあたえないなどのネグレクト行為、繰り返される暴言や無視などは、虐待とはみなされないことになる。

 児童虐待防止法の制定にあたっての衆議院青少年特別委員会の論議(二〇〇〇年四月二〇日)でもわたしは参考人としてそのことを主張し、その後〇四年と〇七年の改正の際にも虐待の定義の改正要望を提出してきたが、今もってこのことは今後の改正課題にもなっていない。児童福祉法でもそうなっているからと言って論議を終わりにしてしまわないで、あらためて「保護者による」という限定のついた日本特有のこの虐待の定義に固執することが本当に必要なのかどうかを、まずは日本の児童虐待対応の現場の人々や研究者が真剣に問い直してほしいものである。

 とりわけ性的虐待は保護者によるものよりも、教師、近所の人、親戚、兄弟など保護者以外の人からの加害のほうがはるかに多い。日本にはその発生頻度を推定する研究の蓄積がまだないので国外の研究を引用するならば、国際的な研究分野で今もって最もよく引用される社会学者ダイアナ・ラッセルの調査2章「沈黙の共謀」参照)では、九三〇人の女性のうち実父、養父から性的虐待を受けていたのは四・五%。親類縁者からは一六%である。

 子どもの虐待とは、福祉行政、警察、教育、保健、保育、医療、司法、子どもの権利擁護団体など実にさまざまな分野の人々が地域ごとに緊密な連携を持たなければ、一つのケースの解決も難しいというきわめて特殊な分野である。そのためにも、法律上の虐待の定義は、可能な限り各領域の人々が共有できる実務上のガイドとなるものにする必要があると主張してきた。

 一つの性的虐待ケースの発覚に際して、たとえば保育所のスタッフと児童相談所のケースワーカーと警察の担当者が、そのケースを性的虐待とみなすかどうかの法的根拠が「児童にわいせつな行為をすること又は児童をしてわいせつな行為をさせること」という現行法上の定義だけでは混乱が起きるばかりだ。

 加害者の行動がわいせつかどうかで定義するのではなく、以下のような、子どもの心身にダメージを与える具体的な行動を記述した定義が必要になる。

 子どもの虐待とは

一 一八歳未満の子どもに対する、

二 大人、あるいは行動の判断可能な年齢以上の子ども(たとえば一五~一六歳ぐらい以上、と日本における年齢を決める)による、

三 偶発的に起きた事故ではない、

 以下のような行為をさす。

性的虐待(sexual abuse) 子どもに対して行われる性的行為のすべて。次の二つに大別できる。

・性的暴行(sexual assault) 強姦、近親姦、その他の性的行為の強要・誘導・きょう。行為者の欲求を満たす意図で性器・性交を子どもに見せる。

・性的搾取(sexual exploitation) 子どもをポルノグラフィ(映像、絵)の被写体にする、子どもに性的な行為をさせて人に見せる、子どもに売買春行為をさせる。

*被害者が、一定年齢に達していない子どもの場合は、子どもの同意による性的行為も虐待とみなす(日本では一三歳だがこれは国際的には低い設定の方で、一六歳ぐらいが望ましい)。

どのくらい起きているのか

 性的虐待はたいへん頻繁に起きている。しかし表面化することはまれである。性的虐待の多くは外傷がないために第三者からは発見されにくく、被害者とその家族の多くは沈黙を守ろうとする。

 日本で行われた初めての大規模な全国調査(一九九八年)によると、一八歳未満の女子の三九・四%、男子の一〇%、一三歳未満の女子の一五・六%、男子の五・七%が性的被害を受けていることがわかる。対象は一八歳以上三九歳以下の女性五〇〇〇人、男性二〇〇〇人。回答が得られたのは女性一二八二人、男性二九九人(子どもと家族の心と健康調査委員会『「子どもと家族の心と健康」調査報告書』日本性科学情報センター、一九九九年)

 全国の児童相談所が扱った性的虐待の相談件数は二〇〇四年は一〇四八件、二〇〇五年は一〇五二件、二〇〇六年は一一八〇件と報告されており、潜在して起きていると推測される調査と比べると、氷山の一角といえる。

 国際的な研究の場でしばしば引用される子どもへの性的虐待の統計数値によれば、性的虐待は三~四人に一人の女子(Russel, 1986)、五~六人に一人の男子(Finkelhor et al., 1990)に起きているといわれている。男子は女子にくらべてはるかに多く家庭の外で性的被害にあうこともわかっている。被害者はあらゆる年齢に及んでおり、米国の調査では、性的虐待の被害児の平均年齢は九・三歳である。これは〇歳から一八歳のちょうど中間年齢に当たる。被害年齢が幅広く分布していることを示している。

加害者はどんな人物か

 子どもへの性的虐待加害者の大半(七〇~九〇%)が子どもの知っている人である。

 フィンケルホーらの調査によると、性的虐待の加害者の大半は男性で、女子が被害者の場合は九八%が男性の加害者、男子が被害者の場合も八三%の加害者は男性である。女性の加害者も数は少ないけれども、いることは認識しておく必要がある。保護者による性的虐待は六~一六%で、親類縁者による性的虐待は二五%。知らない人による性的虐待は五~一五%である(Finkelhor et al., 1990前掲書)

 性的虐待の加害者は、特定の人に限らない。親戚、親、兄弟、隣家の人、コーチ、医師、公務員とどんな人でもありうる。子どもの安全を守ってくれるはずの教師や警察官や警備員が加害者であることも珍しいことではない。

 日本において教師による生徒への性的虐待は、文部科学省の報告によると、二〇〇六年にはわいせつ行為をしたことで学校教員一九〇人が懲戒処分になっている。わいせつ行為等の態様で最も多かったものは「体に触る」五七件、続いて「性交」四七件、「接吻」及び「盗撮・のぞき」がそれぞれ一九件となっている(文部科学省、二〇〇七年一二月発表)

 近年では生徒への性的加害行為を写真や動画に撮ってネットに流していた、生徒の下半身などを盗撮して自分の有料サイトに載せていたなどの、被害者にとっては恐怖と不安に一生さいなまれることになるサイバー性的虐待のケースも増えてきた。

 警察庁は「わいせつ行為」で懲戒処分となった警察官の統計を公開していないが、事件は新聞報道ではしばしば目にする。警察官による子どもを対象にした性的虐待や児童買春の犯罪で新聞に載った事件を気がついたときに切り抜いておいたものだけでも、二〇〇四年度には一〇件以上あった。警察官による成人女性に対する性犯罪ならば、その件数はさらに増え、電車内でのわいせつ行為や、盗撮事件はしばしば新聞で報道されている。

 二〇〇五年の七月、わたしの住む兵庫県の警察地域課の巡査長が小学校高学年の少女への強姦容疑で逮捕された。事件は小さい記事としてしか報道されなかったが、兵庫県のすべての小学校区で子どもを犯罪から守ろうと、防犯パトロール隊がボランティアで街角に立っているときに起こった地域課の巡査長による少女への強姦事件は、善意の市民の努力をないがしろにする重大事項である。

 福岡県警の現職警察官(逮捕当時二五歳)は、二〇〇一年五月から〇四年二月に五回、女子を車で拉致、性暴力を振るったことで逮捕された。五件のうち四件は下校中、一件は友だちの家から帰る途中だった。この巡査は子どもの動向を車の中から観察し、「雨の日、人が少ない場所、白い車、低学年の少女」が攻撃のベストの条件であったことを公判の中で語った。また自分の性的虐待行為の状況をデジタルカメラで撮影し、ハードディスクに保存していた。

 いうまでもなく、性的虐待者が教師や警察官に特に多いわけではない。ただ、子どもを暴力や犯罪から守るべき立場の者たちが、子どもからの信頼を逆手に虐待行為を行うことは、きわめて悪質な行動とみなされてしかるべきだ。

 性的虐待は、被害者の内面をしつこくいつまでも侵食し続け、生きる力のみなもとを奪おうとする残酷な暴力である。にもかかわらず、その加害行為をした側の罪悪意識はたいへん低い。「嫌だと言わなかったから」「本人も楽しんでいた」「性の喜びを教えてあげた」「思いちがいじゃないのか」「注目してもらいたい子どもが作り出した夢想」とその弁明は果てしなく続く。しかし弁明の背後に垣間見えることは、子どもの信頼をたくみに操り、自分の欲望に子どもを従わせる巧妙な作為と意志である。

 加害者たちの弁明を聞いていると彼らの作為と意志の陰には、加害者の行動に甘く、被害者にはきびしい社会があることが見えてくる。わたしたちの社会は性的虐待加害者たちに寛容である。「あんまり可愛かったから、ちょっとさわってみたくなっただけだ」と言えば、加害行為は「女児へのいたずら」という言葉があるように、「いたずら」程度のことと許されてしまう。逆に被害者たちは「そんな服装をしているから」「ませているから」と果てしない人格非難を受ける。

 他人の物を盗めば、たとえどのような理由があろうと窃盗という犯罪行為になるにもかかわらず、相手の信頼感と尊厳とを根こそぎ盗む性暴力は「いたずら」に過ぎないとされ、たいていの場合犯罪と認められることすらない。

 二〇〇八年現在の日本では、父親など家庭内の深刻な性的虐待が発覚しても、加害者が逮捕されることはまれだ。

 被害者を責める世間の重圧を一身に背負って、性的虐待を受けた子どもたちは自分の心と身体をじわじわと侵食する苦しみとともに生きなければならない。そこにこそ性暴力の真の残酷性がある。この残酷性を今も支えている世間とは一体誰をさすのだろう。その問いをわたしたち自身に向けない限り、子どもへの性的虐待はその長い歴史をこれからも延々と続けるにちがいない。

第1章 性的虐待の基礎知識(2)

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