2019年4月のある夜、東京駅の前に女性たちが花を手にして集まりました。
中には男性の姿もありました。それは最近報道された無罪判決に憤り、抗議をするために集まった人たちでした。
2019年3月、立て続けに4件の性犯罪の裁判で、無罪判決が言い渡されました。これらは他人の犯した性犯罪について人違いで起訴された事件ではありません。それどころか、このうち3件では、女性の意に反して性交をしたことを裁判所が事実として認定していました。ところが、いずれの事件も「無罪」という判決が下されたのです。
こんな判決が相次ぐことに憤り、被害者の方々に連帯の意思を示すために「花をもって集まりましょう」という呼びかけに応えて人々が集ったこの集会は、「フラワーデモ」と呼ばれ、5月には、東京だけでなく大阪、福岡などにも波及しました。
人々が集まる原動力となったのは、相次ぐ無罪判決に対するいても立ってもいられないとの思いでした。ここでは、そのなかで最も多くの人が疑問を感じた、2019年3月26日の名古屋地裁岡崎支部の判決についてご紹介します。
3月26日、名古屋地裁岡崎支部は、娘に中学2年生の頃から性虐待を続け、19歳になった娘と性交した父親に対する準強制性交等罪の事件で、父親に無罪判決を言い渡しました。
朝日新聞は以下のように第一報を報じています。
地裁岡崎支部は、性交については、娘の同意はなかったと認定。一方、性交の際に娘が抵抗できない状態だったかどうかについては「被告が長年にわたる性的虐待などで、被害者(娘)を精神的な支配下に置いていたといえる」としたが、「被害者の人格を完全に支配し、強い従属関係にあったとまでは認めがたい」と指摘。「抗拒不能の状態にまで至っていたと断定するには、なお合理的な疑いが残る」とした。
実の娘と性交をしても無罪放免という結論には多くの疑問が表明され、「これで無罪なら、どんなケースが性犯罪となりうるのか」と、司法に対する強い不信感が表明されました。
この事件の判決文を読んで私もとても憤りをおぼえ、「何かが決定的に間違っている」と思いました。そこで、判決を解説していきましょう。
まず判決は、以下のような事実を認めています(以下、女性はA、父親は被告人とされています)。
被告人は、Aが中学2年生であった頃から、Aが寝ているときに、Aの陰部や胸を触ったり、口腔性交を行ったりするようになり、その年の冬頃から性交を行うようになった。
被告人による性交は、その頃からAが高校を卒業するまでの間、週に1、2回程度の頻度で行われていた。Aは、上記の行為の際、身体をよじったり、服を脱がされないように押さえたり、「やめて。」と声を出したりするなどして抵抗していたが、いずれも被告人の行為を制止するには至らなかった。
被告人は、Aが高校を卒業して(略)専門学校に入学した後も、Aに対して性交を行うことを継続しており、その頻度は専門学校入学前から増加して週に3、4回程度となっていた。
なんとひどい性虐待でしょう。女性のことを考えると、心が痛む、という言葉では表現し足りません。
これに対し、被告人である父親は、性交には娘の同意があったと主張していました。しかし判決文は、
本件各性交を含めて被告人との間の性的行為につき自分が同意した事実はない旨のAの供述は信用でき、本件各性交以前に行われた性交を含め、被告人との性交はいずれもAの意に反するものであったと認められる。
と判断したのです。
父親は中学2年生のときから娘を性虐待し続け、未成年の娘に対して意に反する性行為をした。判決はそのことを認めているのです。
本件で起訴された事案は、2017年8月と9月にこの女性が父親から車に乗せられて、それぞれ閉鎖的な空間に連れていかれて性交をされたという件です。これらの件では、女性による物理的な抵抗が認定されていません。
この性交の直前(7月後半から、8月の性交の前日までの間)の出来事として、判決文は次のように、父親からの強い暴行があったことを認定しています。
(Aが)抵抗したところ、被告人からこめかみの辺りを数回拳で殴られ、太ももやふくらはぎを蹴られた上、背中の中心付近を足の裏で2、3回踏みつけられたことがあった。
判決は、この暴力により、女性のふくらはぎなどに大きなアザができたとしています。
また、裁判では、精神科医が女性の心理状態について鑑定意見を提出しています。
判決によれば、鑑定人は、
被告人による性的虐待等が積み重なった結果、Aにおいて、被告人には抵抗ができないのではないか、抵抗しても無理ではないかといった気持ちになっていき、被告人に対して心理的に抵抗できない状況が作出された。
と証言しているとのことであり、裁判所はこの鑑定について「高い信用性が認められる」と認めています。さらに、まだ19歳の女性は経済的には実父に依存して生活しており、ノーとは言いにくい状況に置かれていたとされています。
判決は以下のように認定しているのです。
Aが、専門学校入学後、自身の学費ばかりか生活費についてまで、被告人から多額の借り入れをする形をとらされ、その返済を求められたことで、被告人に対する経済的な負い目を感じていたことからすれば、前記性的虐待がこの間も継続していたことと相まって、本件各性交当時、被告人のAに対する支配状態は従前よりも強まっていたものとも解される。
こうした事情があるのに、なぜ、判決は無罪を言い渡したのでしょうか。
判決では、以下のように説明します。
刑法178条2項は、意に反する性交の全てを準強制性交等罪として処罰しているものではなく、相手方が心神喪失又は抗拒不能の状態にあることに乗じて性交をした場合など、暴行又は脅迫を手段とする場合と同程度に相手方の性的自由を侵害した場合に限って同罪の成立を認めているところである。そして、同項の定める抗拒不能には身体的抗拒不能と心理的抗拒不能とがあるところ、このうち心理的抗拒不能とは、行為者と相手方との関係性や性交の際の状況等を総合的に考慮し、相手方において、性交を拒否するなど、性交を承諾・認容する以外の行為を期待することが著しく困難な心理状態にあると認められる場合を指すものと解される。
たしかに日本の刑法でレイプと言えるのは、強制性交等罪、そして、準強制性交等罪、という2つのいずれかです。そして、今回父親が罪に問われたのは、刑法178条2項、準強制性交等罪です。これは、
人の心神喪失若しくは抗拒不能に乗じ、又は心神を喪失させ、若しくは抗拒不能にさせて、性交等をした者は、前条の例による。
という条文で、「心神喪失」または「抗拒不能」がないと犯罪が成立しません。抗拒不能、というのは抵抗が著しく困難、という意味です。
判決はこの条文を本件にどうあてはめたのでしょうか。
まず、直前にあった暴行の影響はどうでしょうか。
Aが執拗に性交しようと試みる被告人の行為に抵抗した結果受けた本件暴行は、Aのふくらはぎ付近に大きなあざを生じるなど、相応の強度をもって行われたものであったものの、この行為をもって、その後も実の父親との性交という通常耐え難い行為を受忍し続けざるをえないほど極度の恐怖心を抱かせるような強度の暴行であったとはいい難い。
次に、精神科医から、女性は抗拒不能な心理状態だった、という鑑定意見が出ていることについてはどうでしょうか。判決は、
Aが抗拒不能の状態にあったかどうかは、法律判断であり、裁判所がその専権において判断すべき事項
とし、鑑定意見などによって裁判所の判断は左右されない、という姿勢を示したうえで、
Aが本件各性交時において抗拒不能状態の裏付けとなるほどの強い離人状態(解離状態)にまで陥っていたものとは判断できない。
としました。
さらに、女性が被告人に依存していた関係についてはどう判断したでしょうか。
確かに、被告人はAに対して長年にわたり性的虐待を行ってきたものの、前記のとおり、これにより、Aが被告人に服従・盲従するような強い支配従属関係が形成されていたものとは認め難く、Aは、被告人の性的虐待等による心理的影響を受けつつも、一定程度自己の意思に基づき日常生活を送っていたことが認められる。
としています。
そして最後のまとめとして、判決は以下のようにダメ押しをして、無罪としたのです。
本件各性交当時におけるAの心理状態は、例えば性交に応じなければ生命・身体等に重大な危害を加えられるおそれがあるという恐怖心から抵抗することができなかったような場合や、相手方の言葉を全面的に信じこれに盲従する状況にあったことから性交に応じるほかには選択肢が一切ないと思い込まされていたような場合などの心理的抗拒不能の場合とは異なり、抗拒不能の状態にまで至っていたと断定するには、なお合理的な疑いが残るというべきである。
つまり、女性が被告人に対して抵抗しがたい心理状態にあったとしてもそれだけでは十分でなく、
●生命・身体などに重大な危害を加えられる恐れがあった
●性交に応じるほかには選択肢が一切ないと思い込まされていた
という極めて高いハードルを課して、これをクリアしない限り、いかに性虐待があっても、親から無理やり性交されても、レイプにはならない、父親は何らの刑事責任も問われない、というのがこの判決の結論なのです。
このようなことがはたして妥当といえるでしょうか。
中学2年生のときから、実の娘に対して性虐待を繰り返してきた父親、起訴された事件の前に娘に激しい暴力をふるってきた父親がなぜ無罪になるのでしょうか。
父親から暴力をふるわれ、恐怖から抵抗できないという心情になっていた女性、経済的にも父親に依存せざるを得ず抵抗が難しかった女性の状況を「抵抗が困難」と認定せず、父親を無罪にする、それが法律の当たり前の解釈であるとすれば、「抗拒不能」という要件はあまりにも厳しすぎるのではないでしょうか。
意に反する性行為をされたとしても「抗拒不能」という厳しい要件をクリアしない限り性犯罪として処罰できない、そうした理不尽な現実がこの事件を通じて浮かび上がってきたのです。
こんなことでは、多くの性暴力は何ら処罰されないまま野放しになってしまうだろう。女性たちの多くが危機感と悔しさ、このままでいいのかという強い疑問を共有したのです。
後述しますが、2017年に刑法の性犯罪規定が改正された際に「監護者性交等罪」という犯罪が新たに導入されました。この法改正後は18歳未満の者に対しては、親などの監護者がその影響力に乗じて性交等をする行為が処罰の対象となりました。
しかし、この女性は2017年当時すでに19歳であり、刑法は改正されても遡って過去の事案には適用されないため、「監護者性交等罪」で罪に問うことはできませんでした。児童福祉法には、「児童に淫行をさせる」という犯罪も規定されていますが、これも18歳未満の子どもに限定された犯罪です。
また、判決によれば女性は中学2年生のときから繰り返し、性虐待を受けていたとされていますが、日本の性交同意年齢は13歳とされ、13歳以上の子どもが親から繰り返し性交されていたとしても、「抗拒不能」「暴行脅迫」が証拠により立証されなければ、罪に問えません。
ちなみに、日本における「性交同意年齢=13歳」は、諸外国と比較して極めて低年齢の設定で、この点も広く疑問視されています。
今回の判決は広く報道され、大きな社会的非難を受け、フラワーデモも行われました。
こうしたなか、検察庁は控訴をしました。しかし、もし逆転判決が出ればそれで一件落着なのでしょうか。
この事件を受けて、「1件の判決で大騒ぎをしないでも大丈夫。他の裁判官なら常識的に判断してくれるはず。冷静になりましょう」という人もいるかもしれません。しかし、1件であっても当事者が犠牲になるということは残酷です。
そして、この判決のように著しく「抗拒不能」を限定する判決が1件でも出てしまうと、その影響は、はかり知れません。検察官は起訴するか否かの判断に慎重になり、多くの性犯罪事例で不起訴が相次ぐ結果に跳ね返ります。判決であればこうやって検討することもできますが、検察官が不起訴にしてしまうとまさにブラックボックス、どんなに不当でも闇の中です。刑法がこの判決の論理のまま運用されれば、被害にあっても救われない事件は今後とも後を絶たないでしょう。
性虐待を今も受けて苦しんでいる女性たち、子どもたちにとって、この判決やそれを可能としている法制度は絶望しかもたらさないのではないでしょうか。
「仕方がない」で済むことではありません。もし、裁判官の解釈が法律からみておかしいのであれば、司法制度や裁判官に抜本的に変わってもらう必要があります。
しかし、法律の条文から、この判決のような解釈も可能だ、ということであれば、法律が変わる必要があります。性虐待から少女を守れないのが現行法であれば、私たちは主権者として法律の改正を求めることができるはずです。
「なぜ、父親が無罪になるのか」問題を整理するために次章では、性犯罪の処罰に関する日本の法律の規定を詳しく見ていきたいと思います。
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