30年前、愛知県の一職員が始めた「赤ちゃん縁組」
30年前に愛知県の一職員が始めた、産みの親が育てられない新生児を家庭につなぐ「赤ちゃん縁組」とは。

プロローグ 涙から笑顔へ──赤ちゃん縁組のある風景

矢満田篤二

エピソード──私はコウノトリになれた

「お腹が痛い。陣痛かな」

 秋も深まった日の夕方、石井真美さんは滞在先の里親・横山悦子さんに訴えました。

 高校2年生の彼女が、横山さん宅にホームステイを始めて2週間になります。出産予定日までまだ5日。でも、悦子さんは大事をとって、真美さんを車に乗せて愛知県内にある浜田産院へ急ぎました。

45時間後には出産になりそうですね。入院してください。中川さんの奥さんに、すぐに連絡してあげたらどうですか」

 浜田院長は、診察後にこう言いました。

「まあ、たいへん」

 悦子さんは、すぐに公衆電話に向かい、中川さん宅のダイヤルを回しました。しかし、耳に入ってきたのは、留守番電話の音声テープ。

「中川さん、大至急、産院へ来てちょうだい。赤ちゃんが今日産まれそうよ」

 早く外出から帰ってきて、と祈りながらメッセージを入れました。

 続けて、真美さんの実家へ電話を入れ、受話器をとったお母さんに現状を伝えました。真美さんの実家は県外にあって遠方のため、「今夜中には行けないので、明朝、一番に出発します。それまで娘をどうぞよろしくお願いします」と、涙声の返事がありました。

 約2時間後、中川孝子さんが緊張した表情で産院に到着しました。

「真美さん、良かった。赤ちゃんのお母さんが来たよ」

 と悦子さん。

「ごめんね、遅くなって。私がずっとついていてあげるから、安心してね」

 と孝子さん。

 孝子さんは、真美さんが出産したあと、赤ちゃんの育ての親になる人です。

誰にも相談できず──自殺も考えた

 たった1回の暴力で、予期しない妊娠に至った真美さんは、両親にも打ち明けられずに一人苦しみ続け、自殺をはかるつもりで遺書まで書いていました。ひそかに祖父母宅を訪問したり、いつになく涙を流したり、という普段とは違った真美さんの様子を不審に思った母親が、真美さんから話を聞き、自殺をすることができたのです。

 しかしそのときすでに、真美さんは妊娠7カ月を過ぎていました。

 全国紙の『朝日新聞』が、愛知県における新生児里親委託例の学会報告を報じたのは、その数日後。偶然目にしたその新聞記事に記されていた、児童相談所の電話番号を頼りに、母親の朗子さんは児童福祉司の私・矢満田篤二の勤務先へ、必死の思いで電話相談を寄せました。

「産まれてくる赤ちゃんを幸せに育ててくれる方はいないでしょうか。ぜひ紹介してください。被害者である高校生の娘に、とても子どもなど育てさせられません。どうか事情を理解してください……」

 恵まれた環境で、幸せに成長してきた娘とその家族に、突然、おそいかかってきた災難です。わが子を思う気持ちがひしひしと伝わってくる、重い内容でした。

「親になってくれませんか」という電話

 中川孝子さんは、33歳。夫の武志さんは35歳。結婚してほぼ10年になります。

 孝子さんは不妊治療の相談先の医師から、妊娠・出産は不可能と診断されたとき、目の前が真っ暗になったといいます。

 しかし、その事実を受け入れたうえで、次に行動を起こしました。地元の『中日新聞』の記事によって、児童相談所の児童福祉司である私がようしん(養子の親になる方をこう呼びます)さんたちの自主交流会グループの活動を支援していることを知り、入会なさったのです。

 中川さんご夫妻のお住まいは、私が勤務する児童相談所の所管区域ではなく、少し離れた大都市にありました。妊婦さんである真美さんの実家も県外です。したがって、児童福祉法に基づく措置の里親委託ではなく、「養子縁組あっせん」として対応する他ないケースでありました。

 私から「数週間後に産まれる赤ちゃんの親になってくれませんか」という電話が入ったとき、孝子さんには夢のようで、すぐには信じられなかったそうです。

「きっと主人も喜ぶと思います。明日、正式に返事をしますが、ぜひ私たちに赤ちゃんを授けてください」

 しかし、当時の児童相談所は、緊急対応が必要なケースが増加していて、相談予約をキャンセルしてもらわなければならないようなこともしばしば。昼間に落ち着いて電話で話せるようなところではありませんでした。ですから、それから数日にわたって、私は毎晩10時すぎの時間帯に、自宅の電話から石井家、中川家の方々に電話をかけて、打ち合わせを行ないました。

母体とお腹の赤ちゃんの安定が最優先

 未成年といえども、一番肝心な当事者である妊婦・真美さんの意思確認も欠かせません。

 そしてさらに、最優先に配慮すべきことは、胎児の安定をはかることです。福祉的援助をもっとも必要としている弱者は、言うまでもなくお腹の赤ちゃんですから、母体に安心感を与えるケースワークを最大限に工夫しなければなりません。

 私は、妊婦である真美さん自身も「数週間後に産まれてくる赤ちゃんを養子にお願いしたい」と望んでいることを電話で直接確認したあと、真美さんに次のように伝えました。

「予期せぬ妊娠は大変だったけれど、赤ちゃんをぜひ授けてほしいと願っている中川さん夫婦のために、コウノトリの役をしてあげるのだと考えよう。養子縁組というのは、とてもおめでたい幸せをつくること。産んだ子を手放すのは悪いことだという暗い罪の意識は捨てて、明るい気持ちに切り替えようね。そこで、できれば、産まれた赤ちゃんの名前は、中川さん夫婦に付けてもらって、届けを出すことにしてはどうかな」

 電話のときの応答は、小声で言葉少なではありましたが、電話が終わったあと、真美さんはお母さんに、「私うれしい。子どものない人へ、幸せを運んであげるコウノトリになれるんだって。名前も考えてくれるって」と、泣いて喜んでくれたということを、あとで母親が電話で知らせてくれました。

出産まではベテランの里親さん宅に滞在

 この時点で、真美さんはまだ母子手帳も作っておらず、産科の初診のために、人目を避けて、車で1時間以上かかる遠方の都市の産院へ連れて行っただけの状態でした。聞けば、この数週間、不登校状態で完全に家の中に閉じこもっており、極度に他人の目をおそれていたとのこと。狭い地域なので、保健センターや市役所に行けば、知人に会うかもしれないことをおそれていたのです。

 そこで私は、育児に定評のある当地のベテラン里親さん宅に真美さんの住民票を移して、真美さんをそこに一時寄留させ、高校には、「(本人の慢性疾患である)アトピー治療のために入院します」と、届けを出して休ませてから、愛知県で母子手帳の交付を受ける方策を立ててみました。そうすれば、自宅からは離れているため、人目を気にせず外出ができますし、産院も、児童相談所と連携した実績がある近くの浜田産院を選ぶことができます。

 真美さんの自立、成長にもつながるだろうから、と母親へ勧めたところ、「今まで大事に育てすぎました。友人たちも真面目な子ばかりで、中絶の知恵を誰も持っていなかった。本人さえ承知したらお願いしたい」というお返事でした。

 一方、相談したベテラン里親の横山さん宅からは、突然の依頼にびっくりしつつも、「私たちの家でよければ」という引き受けの回答を得ました。

 その週末、空路、真美さんの母親の朗子さんと夫の智弘さんが当地へ来て、さらに生まれる子の養親になる中川夫妻が空港に出迎えました。中川さん宅、横山さん宅、そして浜田産院、を中川武志さんが運転する車で訪問してまわり、母親の朗子さんは「安心しました。ぜひ娘をよろしくお願いします」と丁重にあいさつして戻っていかれました。

 2週間後の秋冷えがする日曜日、母親が付き添い、真美さんは薄いクリーム色のコートに身体からだを包み、新幹線のグリーン車から降りてきました。前回と同じく、養親になる中川夫妻と私が出迎え、真美さんのホームステイ先となる横山さん宅に向かいました。

 翌日の産院受診から、中川孝子さんが横山里親宅と浜田産院の往復送迎を引き受け、産院での出産準備の指導を真美さんと一緒に受け始めました。両親学級にも、33歳の孝子さんと17歳の真美さんの二人が出席。必然的に孝子さんは、真美さんとそのお腹の赤ちゃん二人の母親役を務めながら、この出産の日を迎えたのでした。

「産んでくれて、ありがとう」──臍の緒を切る手が涙でかすむ

 入院から4時間が過ぎ、真美さんは分娩室へ。孝子さんと横山悦子さんも、付き添って一緒に入りました。そして無事、元気な女の子が産まれました。

 浜田医師は真美さんにはさみを渡し、「臍の緒を切ってごらん」とすすめましたが、真美さんはそのはさみを、そばにいる孝子さんへ渡して、切る役をゆずりました。

「真美さん、ありがとうね。本当にありがとう」と孝子さんは感動で目をうるませてはさみをにぎりました。「私たち夫婦に、こんなにかわいい赤ちゃんを産んでくれて、ありがとう」という気持ちで胸が詰まり、そのあとは言葉にならなかったといいます。

 浜田産院は、すべて個室になっており、その中でもっとも広い部屋が用意されていました。その日から、孝子さんも真美さんの部屋に一緒に「入院」しました。母乳を与えることだけが真美さんの役目。それ以外の育児介助は、すべて孝子さんが行ないます。

 赤ちゃんは、中川夫婦により「サユリ」と命名されました。

 孝子さんが部屋を離れている間に赤ちゃんが泣きだしたとき、真美さんが思わず「サユリちゃんのお母さん、早く来て」と呼んだこともあったそうです。

 産後の経過は順調で、1週間で退院となりました。真美さんと迎えに来た母親の朗子さんの二人は、里親の横山さん宅に一晩泊まって、翌日、空路で帰ることにしていました。同じ車で、孝子さんもサユリちゃんを抱いて横山さん宅に入りました。

 横山さん宅には、4年前から、7歳と5歳の姉妹の里子がおり、さらに1週間前から、短期委託里子として2歳の女の子も来ていました。どの子も産まれたばかりの赤ちゃんを見るのは初めてのことで、家の中は興奮状態です。

「真美お姉ちゃんの赤ちゃん?」

「ちがうよ。中川おばちゃんの赤ちゃんだよ」

「中川おばちゃんが産んだの?」

「ちがうよ。お姉ちゃんが産んだんだよ」

「ふーん」「わかった?」「わかんない」

 そんな先輩里子ちゃんと新米ホームステイお姉ちゃんの禅問答に、大人たちはクスクス笑い。夜には仕事場から新米パパの武志さんと私もけつけました。食卓には、横山夫人のお母さんも手伝って朝から作ってくださったお赤飯をはじめ、お祝いの品々がいっぱいに並べられました。ビールが注がれ、にぎやかに話が弾むと、ベッドに寝かせていたサユリちゃんも元気に泣き声をあげました。

 孝子さんがそんなサユリちゃんを抱き上げて座のなかに入ると泣き止む、といったことが数回あり、「もうこの子はぐせがついちゃって」と言う孝子さんの弁解に、一同大爆笑。

 ニコニコ顔でそんな様子を見ている真美さんの表情と、その笑顔にそっと目を向けて安心している母親の朗子さんの横顔を見て、私もあんいたしました。

プロローグ 涙から笑顔へ(2)

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