「今日が真実を伝える最後のチャンスだ」
2020年1月23日、中国・武漢は都市封鎖に踏み切る。国家主席・習近平の決断だ。これにより中国はコロナの封じ込めに成功した。しかし、これが未曾有のパンデミックになるであろうことは、ロックダウンの25日前、2019年12月30日に警告されていた――しかも中国の医師たちによって。収束を見せないパンデミックはいかにして起きたのか? The New York Times特選記事。
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公式説明によれば、中国は強力なリーダーシップを発揮して新型コロナウイルス対策に取り組んだ。しかし実態は違う。当局は対応を誤り、局地的なウイルスの抑え込みに失敗してパンデミック(世界的大流行)を引き起こしたのである。

取材・執筆 クリス・バックレー、デビッド・D・カークパトリック、エイミー・チン、ザビエル・ヘルナンデス

20191230日から武漢封鎖までの25日間

 中国で最も有名な医師であるしょう南山なんざん。緊急の任務を担い、中部中国の武漢行きの電車に乗り込んだ。

 鍾は17年前に重症急性呼吸器症候群(SARS)対策で指導力を発揮し、英雄とたたえられた。83歳と高齢ながら武漢で陣頭指揮を執り、新型コロナウイルス対策に取り組むよう命じられていた。

 夜行列車の中で目を閉じて思案にふける鍾に向けて助手はカメラを向け、シャッターを切った。写真は後に中国国内で瞬く間に拡散した。これで「現場に駆け付ける勇敢な医師」という評価が決定的になった。

 中国の公式説明によれば、鍾の武漢行きは中国が対コロナ戦争に勝利する劇的なターニングポイントになった。彼は現場の最前線でウイルスの感染拡大を突き止め、北京に戻って警鐘を鳴らした。これを受けて国家主席の習近平が大きな決断を下した。4日後の2020123日、武漢のロックダウン(都市封鎖)に踏み切ったのである。

 ロックダウンの発動は決定的な一打になり、中国はコロナの封じ込めに成功した。だが、コロナはパンデミックになり、全世界で170万人以上の命を奪っている。世界への感染拡大防止という点では中国の対応は遅きに失した。

英雄とされる医師、鍾南山 Photo/Getty Images

 実は、最初の警戒信号は20191230日に発せられていた。それ以前から中国国内では一部の医師や研究者の間から調査を求める声が出ていた。にもかかわらず、武漢の市当局と北京の中央政府は感染拡大の実態を隠し、警告に耳を傾けようとしなかった。

 感染拡大で事態が緊迫化するなか、中国当局は科学よりも政治を優先したのだ。初動の遅れがもとになり、ウイルスが世界中にばらまかれた。その後、世界中で混迷が深まっている。透明性や医療体制、経済的影響をめぐり、科学と政治が衝突している。

18日、米中両国の疾病予防責任者の緊急会談

 本紙は「世界を変えた25日間」に焦点を当て、コロナ発生当初に中国で何が起きたのかを検証した。中国内外の関係者に広くインタビューしたほか、公的報告書や内部文書、研究論文、書籍――忘れ去られたり検閲されたりした資料も含め――の内容を点検し、当時の状況を再現した。

 中国国内の研究者グループや民間ラボがウイルスを発見し、遺伝子情報を解析したのはいつだったのか。中央政府が事の深刻さを認識するよりも何週間も前のことだった。危険なウイルスに気付いた科学者はお互いに情報を交換し合い、警鐘を鳴らそうと動いた。一部は実際に行動を起こし、大変な目に遭わされた。

 上海の復旦大学教授で著名ウイルス学者の張永振は「われわれは真実を伝えようとしていたのに、誰にも聞いてもらえなかった。悲劇としか言いようがない」と振り返る。

 米中の政治対立が激しくなるなかで、両国の科学者チームは早い段階から「ウイルスはおそらくヒトからヒトへ感染する」と認識し、情報共有の面で協調体制を築いていた。ここでは世界各地の科学者が何十年もかけて築き上げていた人的ネットワークが大きな役割を果たした。

 18日、米中両国の現場責任者が緊急会談に臨んだ。中国側は中国疾病予防抑制センター(中国CDC)主任の高福、アメリカ側は疾病対策予防センター(米国CDC)所長のロバート・R・レッドフィールドだ。レッドフィールドに近い関係者2人によると、英オックスフォード大学出身の高は電話口でウイルスの危険性を認め、不安で仕方がない様子だった。

 しかし、高もレッドフィールドも政治の壁に阻まれ、世間に向けて警告を鳴らすことはなかった。北京の公衆衛生当局は武漢の医療現場から不吉な報告書を受け取り、現地に2度にわたって調査団を派遣していた。にもかかわらず武漢の市当局を指導できず、何も公表しなかった。

政治的緊張で在中アメリカ公衆衛生チームは引き揚げ

 鍾は武漢入りする前に、ウイルスがヒトからヒトへ感染するという事実をすでに知っていた。だとしたらなぜ武漢に向かったのか。政治的な任務を担っていたからだ。不透明・不効率な行政システムに風穴を開け、中央政府を突き動かすきっかけをつくろうとしていたのだ。

 当時の様子は中国で出版された新刊本の中で詳述されている(鍾自身も出版に際して協力している)。鍾が武漢行き夜行列車の中で書いた報告書には次の記述がある。「ウイルスは間違いなくヒトからヒトへ感染する。国民に対しては、特別な理由がない限り武漢へ行かないよう呼びかけるべきだ。外出と集会もできるだけ控えるよう徹底しなければならない」

 中国は最終的にコロナの封じ込めに成功すると同時に、中国共産党に好都合のナラティブ(語り)を展開して政府のコロナ対応を正当化した。経済の立て直しにもメドを付け、力強く復活しつつある。コロナによって世界の力関係が変わり、中国は以前よりも優位に立っている、との見方も出ている。

Photo/Stephen Crowley_The New York Times

 トランプ大統領は中国の復活を目の当たりにして怒り心頭に発している。無理もない。それまで「コロナを世界へばらまいた元凶は中国」と断じ、コロナに言及するときには「中国ウイルス」という表現を多用していたのだ。それなのに、アメリカはコロナ対策という点で中国に完全に後れを取っている。今なお死者急増や経済不振などコロナ禍に翻弄されているのである。

 かつてウイルスの感染症対策で協力し合う関係にあったアメリカと中国。しかし、武漢でコロナが発生するよりも数カ月前、トランプ政権は10人ほどの公衆衛生チームを中国から引き揚げていたのだ。結果としてアメリカは中国で危険なウイルスが発生しても情報収集できず、パンデミックに対して無防備になっていた。

対応が3週間早かったら、感染件数は95%減

 中国がコロナ禍から抜け出すなか、中国共産党のプロパガンダ機関がフル回転している。国家主席の習が指導力を発揮して武漢のロックダウンを発動したことで、中国は世界に先駆けてコロナの封じ込めに成功した――こんな中国発ナラティブが世界へ拡散している。

 中国発ナラティブとは裏腹に、実際には中国政府はコロナ発生当初に情報隠蔽に走り、ウイルスを世界へばらまく格好になっていた。それを裏付ける研究もある。「中国が1週間早く行動していた場合」と「3週間早く行動していた場合」の二つのシナリオを描き、感染件数は前者であれば66%減、後者であれば95%減となっていたはず、と結論している。

 中国は一貫して情報開示に消極的であるため、コロナ発生直後の数週間については謎が多い。ウイルスがどこで発生したのか、どのようにして感染が拡大したのか――。動物が発生源とされるウイルスについて、外部の科学者は今も手掛かりをつかめていない。世界保健機関(WHO)が独立調査を行おうとしても、中国側の抵抗に遭ってお手上げ状態だ。

「WHOは真相を究明する貴重なチャンスを失っている」と米系有力シンクタンク「外交問題評議会(CFR)」のシニアフェロー、ヤンゾン・ファン氏は指摘する。「どこで何を誤ったのか――まともな議論は交わされないままだ」

武漢の病院で Photo/Chris Buckley_The New York Times

1230日、武漢市内で新型肺炎発生

 20191230日、武漢市内で治療が困難な新型肺炎が発生し、医療関係者の間で不安が広がっていた。地元の病院は市当局から「同様の症例を見つけたら直ちに報告せよ」との指令を受けた。

 従来のルールに従えば、医療現場で収集された情報は市当局に加えて北京の中国CDCと共有されなければならなかった。ところが情報共有は実現しなかった。

 指令が出てから12分後、中国で大人気のチャットアプリ「ウィーチャット」上は大騒ぎになった。指令内容がウィーチャットへ流出し、拡散したからだ。その後、別の指令――患者の治療に関係していた――も流出して同じように拡散した。そのうち「武漢市内で新型肺炎が発生」とのニュースは中国CDC主任の高にも届いた。

 本紙は高に連絡を入れ、「どのようにして武漢のウイルス発生のことを知ったのか?」と聞いてみた。すると「インターネットで話題になっていたからね。誰もがウイルスのことは知っていた」との答えが返ってきた。

 その夜、中国国家衛生健康委員会(NHC)は調査団を結成し、翌朝に武漢へ派遣する方針を決めた。

 数時間後、国際感染症学会(ISID)のニュースサービス「プロメド(ProMED)」はWHOも含めて世界の医療機関に向けて緊急速報を流した。プロメドの速報を目にして「200203年のSARS再来か」と不安に思う専門家は少なくなかった。中国で発生したSARSは世界で猛威を振るい、800人近くが命を落としていた。

 プロメド副編集長のマージョリー・P・ポーラックは「SARSの再来に違いない――これが私の反応だった」と語る。ちなみに、彼女は新型コロナ発生時に加えてSARS発生時にも緊急速報を担当している。

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世界を変えた25日間(2)
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