大学の研究教育力低下は、日本経済に何をもたらすのか
「日本の科学力失速、地位危ない」と英ネイチャー誌が警告! 急落する実態、その要因、再生の青写真を解説する
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序章 失速する日本の科学研究力

 日本経済は1990年代前半のバブル経済の崩壊により、四半世紀に近く長期にわたる不況と低成長に苦しんできました。ここ数年、日本政府による超金融緩和政策と世界的な景気循環の良い時期に合致していたことなどから、株価も上昇して日本経済も持ち直しているようです。

 一方、日本の人口高齢化は急速に進み、2017年の高齢化率(65歳以上の高齢者が全人口に占める割合)は277%という、世界屈指の超高齢社会となりました。低成長と生産年齢人口の減少で国の税収がそれほど伸びない中で、国の財政は、巨額の借金の返済とともに社会保障費の増加に対応しなければならず、それ以外の政策に使える金額は引き続き制限されています。このような日本の経済・財政状況で、リーマンショックのような世界レベルの金融危機ほどでなくても、繰り返される景気循環の不況の波をかぶれば、再び日本経済が深刻な停滞に逆戻りしてしまう恐れがあります。

 経済の短期的な好不況の波に一喜一憂するのではない持続的成長のためには、適切な経済政策と抜本的な人口減少対策ともに、その原動力となる「イノベーション力」を国民の多くが養い、たとえ超高齢社会であったとしても立ち枯れるのではなく、あらゆる分野でイノベーションの芽を生み出し育て続けることが不可欠であると考えます。そしてそれが最終的にGDPを押し上げるのだと考えます。

 「イノベーション」を辞書(『大辞林』三省堂)で調べますと、

 「イノベーション(innovation)

 技術革新。新機軸。

 経済学者シュンペーターの用語で、経済成長の原動力となる革新。生産技術の革新、資源の開発、新消費財の導入、特定産業の構造の再組織などをさすきわめて広義な概念。」

 と書かれています。

 なお、イノベーション・マネジメント入門(文献01)という教科書にはイノベーションとは「社会に価値をもたらす革新」という、たいへん短く、覚えやすい定義が載っています。また、過去からの延長線上にない「非連続的で急進的な革新(radical innovation)」か、延長線上にある「連続的で漸進的な改善(incremental innovation)」か、そして、市場に対して破壊的(既存の資源が価値を失う、disruptive)か、温存的(価値を保持する、sustaining)か、による分類もなされています(文献02)。

 なお、「イノベーション」という言葉はやや長いので、本書では適宜「イノベ」と省略することにします。

 本章ではまず、「大学の研究教育力」を反映する重要な指標である学術論文数が、どのようにイノベーションや経済成長に関係しているのか、経済協力開発機構(OECD)が公表しているデータベースOECD.Statと、国際的な文献データベースであるクラリベイト・アナリティクス社ウェブ・オブ・サイエンス(Web of Science®)の分析ツールInCites Benchmarkingを用いてお示しします。

 著者はこれまで、日本の論文数が、世界諸国に比べ極端に低迷している特異な状況にあることに危機感を抱き、さまざまな報告と提言をしてきました(文献03)。図表01をご覧ください。この図は、主な国々の学術論文数(人口百万人あたり)の移り変わりを示しています。多くの国では右上がりで論文数が増えています。しかし、日本は2000年を過ぎた頃から停滞~減少し、他の国に大きく差をつけられてしまいました。韓国にも2倍近く引き離されています。学術論文数は、その国の科学技術の研究力、特に大学の研究教育力を反映します。日本は科学技術立国であったはずなのに、どうしてこんな状況になってしまったのでしょうか? このような、日本の研究力が惨憺たる状況に至った原因は何なのかをデータに基づいて明らかにし、そして、日本が再び学術の分野で競争力を取り戻すためには、どうすればいいのか提案することが本書の目的です。また、以前から文部科学省科学技術・学術政策研究所(以下科政研と略)は、日本の学術論文数の低迷を指摘し、警告を出し続けています(文献0405)。

 特に「科学技術の状況に係る総合的意識調査」という日本全国の公的機関および民間の研究者のアンケート調査を読むと、日本の大学や研究所の研究現場の環境が急速に悪化していることがよくわかります(文献06)。中でも、自由記載欄からは、研究現場の状況が生々しく伝わってきます。本書では、その自由記載のごく一部を〝研究現場からの声〟として、適宜ご紹介します。なお各自由記載には、( )に意見を寄せた人の属性が記載されています。第1G、第2G、第3G、第4Gというのは、国公私立大学を、論文数シェアによって4つのグループ(G)に分けた分類です(5%以上4大学、15%13大学、051%27大学、00505%135大学)。ちなみに第1Gは東大、京大、阪大、東北大です。

〈研究現場からの声〉

⃝改革という名の下に単に予算だけ減らされている気がする。私自身は、「教育は国家100年の計」を信じて、教育・研究に取り組んでいる。それなのに、実際にやることは研究予算の獲得に右往左往し、専門スタッフがいないために多くの雑用を自分でこなし、ということである。多くの大学教員、事務員が疲弊していると感じる。この状況は改善できないものでしょうか? (2016年、大学、第1G、工学、准教授クラス、男性)

⃝大学はやるべきことは最大限あるいは極限まで行ってきた。これ以上何かをしろといわれても疲弊するのみ。(2016年、大学、第2G、農学、教授クラス、男性)

⃝大学はその成果が産業応用されない限り維持できないという論理には違和感を感じる。イノベーションを謳いながら大学の経営をも同時に求めることは現実的な矛盾があり、長期的に見て大学本来の質の低下と疲弊をもたらし、近い将来日本からノーベル賞は輩出されなくなる。多様な基礎研究のなかにこそイノベーションの素地があり、研究者はそこに大きなエネルギーを見出す。大学経営の名の下に執行部のリーダーシップの強化を図るのであれば日本の科学技術の将来は明るくない。(2016年、民間企業等、部・室・グループ長クラス、男性)

 最近では『ネイチャー・インデックス(Nature Index)』誌が日本の学術研究力の低迷を取り上げ、著者にもコメントが求められました(文献07)。また、日本の報道機関も日本の研究力の低迷に関心を抱くようになり、著者のデータも引用されるようになりました(文献08)。各種の雑誌の特集記事も組まれています(文献09)。また、2018328日の国会(文部科学委員会)において、自民党議員によって、科政研による論文数のデータとともに、著者の文献03が引用されて、政府に対して質問がなされています。さすがに、ここまで日本の大学の研究競争力がひどい状況になると、国民の皆さんも危機感を感じざるをえなくなってきたということでしょう。

 著者が特に分析してきたのは、論文数の減少です。その理由の一つは、論文数が「大学の研究教育力」を鋭敏に反映する指標であるからです。もちろん、中には論文の数を増やすために、同じテーマで切り口を変えていくつも論文を書く研究者がいることなど、研究本来の目的を忘れ、論文数の増加を自己目的化してしまう研究者もいるのですが、全体として見れば、論文数(本書においては一定の質的レベルが担保された論文数を意味します)は研究教育力を計る最も正確で分かり易い指標なのです。

 なお、ここで論文数を「研究力」の指標とせずにあえて「研究教育力」の指標と表現した意図は、論文に書かれた情報がGDPと関係するだけではなく、大学が研究を通して育成した人財が社会に出てGDPの押し上げに貢献している可能性があると考えてのことです。たとえば、各国の博士課程修了者数とGDPは正の相関をします。

 もう一つの理由は、論文数については、世界的な文献データベースが存在し、世界各国を比較できる統計学的分析が可能となっているからです。最近では、このような文献データベースをもとにして、さまざまな数学的・統計学的分析を駆使した研究が行われるようになり「計量書誌学(Bibliometrics)」という新しい学術分野ができています。

 読者の皆さんの中には、論文数が少なくなっても、自分たちの生活には関係ないと思っていらっしゃる方も多いのではないかと想像します。ところが実はそんなことはないのです。大学の研究教育力を反映する論文数は、経済成長の原動力であるイノベーション力と密接に関係し、その国の経済成長と深い関係があるからです。大学の持つ経済効果については、たとえば英国の大学団体が2015年に発刊した「Why invest in universities?」というレポートに、具体的なGDPを押し上げる金額があげられており、政府に大学への投資の増額を求めています(文献010)。

 論文数とGDPの成長に相関関係があると言っても、俄かには信じていただけないかもしれません。そこで、さまざまなデータを分析したり、他の研究者の研究を紹介したりして、順次説明していきます。たくさんのグラフが出てきますが、どうぞしばらくお付き合いください。この際、若干の統計学や経済学の知識が必要になりますが、あまり得意でないという読者の皆さんにも、できるだけわかりやすい説明を心がけたいと思います。

 なお、各国の人口については国際連合(United Nations)のデータを用い、統計学的分析はMicrosoft Excel V.1810、College Analysis V.6.6(福山平成大学、福井正康氏による)、および共分散構造分析はIBM® SPSS® AMOS25.0.0.を用いました。

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第1章 学術論文数は経済成長の原動力(1)

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