日本から南洋への大移動。現在につながる人々の暮らし
ハワイ、ブラジル、オーストラリア、フィジー、そして南洋の島々……。明治から戦後のある時期まで、日本は国策として移民を推奨する「移民送り出し国」だった。中島敦を読んで以来、南洋パラオに惹かれ続けているシンガーソングライターが、パラオ引揚者の行方を追いかけ、もう少しで消えていこうとする戦前と戦後をつなぐ声を拾い集める。
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3話 パラオから我孫子へ 利根川遊水地に拓いた農業

 我孫子市在住の男性からフェイスブックを通じて連絡をもらったのは、4年前だった。拙著『南洋と私』(リトルモア)『あのころのパラオをさがして』(集英社)を読んでくれた山田恒久さんが「我孫子市にも、パラオから引揚げて来られて、苦労された方々がいらっしゃいます」と教えてくれたのだ。これまで、戦後の開拓といえば、農地に不向きな土壌の、山や森に入って木の根や笹の根と格闘した、という開拓話を聞いていた。宮城の北原尾も宮崎の環野も、種子島の長谷・原尾もそうだ。しかし、我孫子は違った。正確には我孫子と北柏にまたがる地域にパラオからの引揚者たちが分かれて入植したのだが、彼らは山ではなく利根川の遊水地を畑や田んぼ…

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