「人間よりもイヌやクマのほうが知的で道徳的」
極東ロシアに伸びるコリマ街道、ここからスターリン時代に何万人もの囚人が強制収容所へ送られた。残酷な歴史を示す痕跡は今も残る。

ロシアの「骨の道」

苦痛と絶望の遺物

極東ロシアに伸びるコリマ街道、ここからスターリン時代に何万人もの囚人が強制収容所へ送られた。残酷な歴史を示す痕跡は今も残る。

(取材・執筆 アンドリュー・ヒギンズ、写真・ビデオ エミール・ダック)

総延長2千キロメートル、ほぼ一年を通して凍結している

 夏になると湿地帯に大量の虫が発生し、冬になると見渡す限り氷原が広がる――。ここは極東ロシアのコリマ地方。ずっと昔のことだ。まず、囚人が動員されて道路が切り開かれた。次に、切り開かれた道路を通じてより多くの囚人が動員され、鉱山と強制収容所(囚人キャンプ)の労働力として駆り出された。

 スターリン時代に多数の強制収容所を受け入れ、シベリア流刑地として有名になった極寒地コリマ。スターリンのグラーグ(強制収容所システム)の中で最も寒くて最も危険な辺境地だ。ここに敷かれた基幹道路は通称「骨の道」。無数の囚人が過酷な労働環境に耐えられずに命を落とし、道路周辺に埋められたからだ。

「骨の道」は極東ロシアの未開地の中をヘビのようにくねくねと延びている。総延長2千キロメートルで、オホーツク海沿岸の港町マガダンから内陸のヤクーツク(東シベリアのサハ共和国の首都)までを結ぶ。泥だらけの砂利道であるものの、ほぼ一年を通して凍結している。

 ここに来ると、厳しい気候にさらされながらも息をのむほど美しい大自然に目を奪われる。同時に、ここが「骨の道」と呼ばれるゆえんにも気付かされる。道路沿いには墓標もないままで凍り付いた墓場もあれば、廃墟になって風化しつつある強制収容所もあるのだ。

 2019年の冬、私は写真家のエミール・ドゥックと共に「コリマ街道」と呼ばれる国道R504――「骨の道」の現代版――に入った。たまに長距離トラックが行き来するのを除けば、交通量は極めて少ない。さび付いた有刺鉄線を支える木柱、放棄された立坑、壊れてばらばらになった独房用れんが――。雪の下に埋もれている過去の遺物は忘れ去られているかのようだ。

周囲は息をのむほど美しい大自然。だが、コリマはスターリンのグラーグの中で最も寒くて最も危険な辺境地。「骨の道」沿いには荒涼とした集落が点在している

犠牲者の子孫は悲劇の記録を残そうと努力しているものの、ノスタルジアと無知が災いして多くのロシア人の記憶の中で恐怖の歴史は薄れつつある

強制収容所の存在を示す証拠が失われるなか、スターリン人気は過去数十年で最高レベルに達している。元シベリア流刑者の中にもスターリン崇拝者がいる

「人間よりもイヌやクマのほうが知的で道徳的」

 歴史をさかのぼると、100万人以上の囚人が「骨の道」に送り込まれたことが分かる。普通の受刑者に加えて反体制派ら政治犯も大勢いた。

 囚人として「骨の道」を歩いた政治犯にはロシアを代表する知識人も含まれた。めぼしいところではロケット科学者のセルゲイ・コロリョフ。過酷なシベリア流刑をどうにかして生き延び、1961年には世界初の有人宇宙飛行を成功させた。詩人のヴァルラーム・シャラーモフいた。著書『極北 コルィマ物語』の中で15年間の流刑生活を振り返り、「ここでは人間よりもイヌやクマのほうが知的で道徳的」「重労働、極寒、飢え、殴打――これで人間は3週間で野獣になる」などと断じた。

「骨の道」は極東ロシアの未開地の中をヘビのようにくねくねと延びている。総延長2千キロメートルで、オホーツク海沿岸の港町マガダンから内陸のヤクーツク(東シベリアのサハ共和国の首都)までを結ぶ

 だが、スターリンのグラーグが象徴する恐怖の歴史は多くのロシア人の記憶の中から消えつつある。元シベリア流刑者の一部も含めて、である。ソ連が超大国として君臨していたスターリン時代へのノスタルジアが影響しているのは間違いない。彼らの記憶の中ではスターリンは美化されている。

 シベリア流刑を生き延びたアントニナ・ノボサッド(93)もスターリンを美化している一人だ。

 ウクライナ西部で育ったノボサッド。ティーンエージャーのときに政治犯として逮捕され、コリマの強制収容所へ送られた。適当な容疑をでっち上げられたのだ。強制労働の場は「骨の道」近くのスズ鉱山、流刑生活は10年に及んだ。

 ノボサッドは流刑時代を鮮明に覚えている。囚人仲間の女性が有刺鉄線を越えて果実を摘もうとしたときのことだ。女性は守衛に見つかって直ちに射殺され、道路沿いに埋められた。間もなくして一匹のクマが現れ、遺体を引きずりながら持ち去った。「これが流刑生活の日常で、想像を絶する世界。囚人キャンプとはそういうもの」

 にもかかわらず、ノボサッドはスターリンを好意的にみている。「スターリンは神。そもそも何も間違ったことはやっていない。悪いのは党であり、取り巻き連中。スターリンはサインしただけだ」。彼女の記憶によれば、強制収容所内の囚人仲間も同じだった。19533月にスターリンの死を知ると、多くが涙を流したのである。

アントニナ・ノボサッド(93)はコリマの強制収容所で10年に及ぶ流刑生活を送った。「スターリンは神」と語る
ノボサッドは流刑時代を鮮明に覚えている。囚人仲間の一人は果実を摘もうとして有刺鉄線を越えたため、守衛に見つかって直ちに射殺された
小売店オーナーのミハイル・シビスティ(63)は犠牲者が埋められた墓場にロシア正教の十字架を建てた。旧ソ連時代の囚人キャンプをテーマにした展示会も行っている

悲劇が忘却のかなたへ消え去ろうとしている

 なぜ「骨の道」の悲劇が忘却のかなたへ消え去ろうとしているのか。専門家によれば、コリマで強制収容所の存在を示す物的証拠が失われつつあるからだ。マガダン地域歴史博物館の学芸員で歴史家のロスティスラフ・コンセビッチは「すべてが自然にのみ込まれて風化しつつある。いずれ完全に朽ち果てて跡形もなくなる」と予想する。

 過去の遺物が姿を現すこともある。夏の到来に伴って雪が解けたり、鉱山会社が凍土を掘り起こしたりするときだ。遺物発見者の一人がコリマ街道沿いの金鉱山を所有するウラジミール・ナイマンだ。半世紀近く前に囚人の埋葬現場を偶然見つけている。

 コリマの流刑囚だったドイツ系の父親とウクライナ系の祖父を持つナイマン。1970年代の雪解けシーズンにマガダン州ヤゴドノエ地区で金鉱を探し求め、地質調査を行っていた。ブルドーザーで道路沿いの土を掘り返したら、ひつぎと人骨でいっぱいの沼地に入り込んで5日間も立ち往生した。そこは無数の囚人が埋められている墓場だった。

元流刑者も含めて多くのロシア人にとって、スターリン時代のグラーグをめぐる恐怖の記憶は急ピッチで失われようとしている。ソ連が超大国だった時代へのノスタルジアも影響している

地元住民にとっては生活のすべてが「骨の道」を中心に回っている。個々の集落は何百キロメートルも離れている。運転中のエンジントラブルは凍死に直結する

極東ロシアで副知事を務めたアンドレイ・コリャーディンは「ここでは下に囚人の骨が埋められている」と語る

 その後、ナイマンは「骨の道」の犠牲者を追悼して沼地に8本の木製十字架を建てた。だからといってスターリンを憎んでいるわけではない。むしろ逆だ。「犠牲を払わなければロシアは繫栄しない。スターリンが偉大だったのは自明」と言い切る。

 ナイマンの見立てでは、スターリンのおかげで旧ソ連は第2次世界大戦でナチスドイツを撃退し、その後「貧農の国」を脱皮して超大国になれたのだ。「アメリカでは無数の先住民族が殺された。それと比べればコリマで起きたことはそんなにひどくない」

スターリン人気は過去数十年で最高レベル

 大統領のウラジミール・プーチンはスターリンの大粛清をどう見ているのか。悲惨な歴史を消し去ろうとしているわけではない。2018年には政府資金を投じてモスクワにグラーグ歴史博物館をオープンしている。

 とはいえ、現状では「大粛清の歴史」は「大勝利の歴史」に圧倒され、かすんでしまっている。

「大勝利の歴史」を代表するのは、第2次大戦の対ドイツ戦でスターリンがヒトラーに勝利したことだ。ロシアでは対ドイツ戦勝利は国家的偉業として神聖化され、勝利に導いたスターリンは英雄として祭り上げられている。実のところ、国民の間でスターリン人気は過去数十年で最高レベルに達している。グラーグの悲劇が歴史の片隅に追いやられてしまうのも無理はない。

 スターリン崇拝に異を唱えた活動家もいる。フィンランドに隣接するカレリア地方で調査をしていたアマチュア歴史家のユーリ・ドミトリエフだ。

 ドミトリエフは決定的証拠をつかんでいた。何年にも及ぶ調査の末に大虐殺の現場を発見し、「スターリンの秘密警察によって無数の政治犯が粛清され、ここに埋められた」との結論に至ったのである(スターリン崇拝派からは「加害者はナチスドイツと連携したフィンランド軍」と反論された)。その後、養女への性的暴行容疑で逮捕され、20209月に13年の実刑を受けている。本人と支援者は「容疑はでっち上げ」と主張している。

 20203月に行われた世論調査によれば、旧ソ連時代は国民の76%から好意的に捉えられ、歴代ソ連指導者の中でスターリンは最高の評価を得ている。一因は若者の無知にあるのかもしれない。若年層を対象にしたアンケート調査では、全体の半分近くがスターリンの非情な政治弾圧についてまったく何も知らないのである。

山々が連なるコリマ地方の空中写真
マガダンにある歴史博物館に展示されている絵画。囚人を乗せた船がマガダンの港に到着する様子を描いている
グラーグの犠牲者を悼むためにマガダンに置かれた慰霊碑「悲しみのマスク」
01