「最後の賊」の獄中日記
闇夜を駆け、忍び込み、大金をせしめて逃げる。「首相官邸でもやっただろう」(捜査一課)伝説の大泥棒が獄中で遺した日記を、現存する別の大泥棒と犯罪学の権威で読み解く。國松元警察庁長官推薦!

1章 「獄中日記」を読み解くにあたり

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□獄中日記

 盗人ぬすっと世界の最高位に位置する者が1988年から1993年の6年間の獄中で書き残し、自ら「賊」とサインした6冊の日記「獄中日記」がある。

 「賊」

 この言葉からは、たんなる盗人とは異なる、暗闇の中に伏せ、獲物まと(標的)を見据えて跳躍の機会をうかがう、息を詰めた凶獣の臭いが漂う。

 内容は、6年間の刑務所暮らしをつとめた男の日々の暮らし、自分のような生涯を送る者がないよう求める戒め、一般市民が被害者とならないための防犯上の忠告を書き連ねたものである。

 分厚い大学ノート6冊に綴られた「獄中日記」は、1日平均2000字、日曜も正月もなく毎日400字詰め原稿用紙5枚。細かい文字が行替えもなく、それこそ隙間もなくビッシリと書かれている。重要な箇所は本人による赤字。

 それだけ、ぎりぎりまで追い詰められた余裕のない文房具の使用と時間の制約を感じ取ると同時に、書くことに没頭するしか刑務所という閉塞空間にいることを忘れることができなかったのではないか、という思いが強くなる。

 感じるのは、書き手の一種の偏執的狂気。不意に爬虫類と向き合ってしまったときの、皮膚にこびりついて離れないヌルッとした生温かさ。フランス小説『鉄仮面』の主人公が「おれは実在する」と叫んで現代社会に躍り出たような驚愕。

 これに似た書きものを見たのは、『無知の涙』を書いて刑死した永山則夫の数々の著書。

 過去に書かれた日記と称するものの多くは、一見、他の読み手を意識しないように見えて、実はしっかりと意識された文芸作品であった。自己の行いを正当化し、敵対した相手をこきおろしている。

 逆にだからこそ、日記は日記の裏を読むことの面白さがある。裏から読むことで、書かれなかった、しかし本当は書きたかった真実が見えてくる。

 ここで取り上げ解読作業を進めようとする「獄中日記」も、「書かれなかった真意」を読もうという点ではそうだ。

 しかし、そのためには、「獄中日記」の裏を読み解かねばならない。

□日記に著された「人生の癖」

 私たちの向き合った「獄中日記」の文体は古くさく、文章中から大正期の古本に似通った臭いが漂う。

 使われている文字は、いわゆる「刑務所文字」と呼ばれ、習字のお手本のように、流麗に一画一画輪郭のはっきりした字体。しかし息を吐くことさえ惜しみ、喉を詰めるようにして、一気に流れるように書き上げた文字の並び。

 誤字脱字は比較的少なく、「教育」という名の監視下で、文字を体得する少年期から長期に施設(少年院)に入って身につけた者たちだけが共有する、丁寧だがどこか上目遣いの独特な文章。

 この偏執的な熱意をもって書かれた文章は、一見、その熱の割には毒にも薬にもならない単調な刑務所での日々が書き連ねられている。


   【忍】

   ○月○日

   ○月時に買い入れの日用品の借り下を行う。

   筆入れ、色鉛筆、鉛筆、鉛筆削り、消しゴム、下敷き、黒運動靴、色タオル(工場用)、エメロン石鹼計9点。

   物価高の世の中だけ八月時の総購入額を表示するなら、参千四~五百円となるであろう。毎月毎月このように使用していたら大変な金額になって終う。

   すいません。すいません。みんな、すいません。

   質素倹約・自重してお金の使途に心がけねばなるまい。どん底に居住して、かような金入とは世の中も変わったものと感じ入る次第。

○○刑務所にて 忍びの弥三郎記(1988年○月○日)


 ノートの頁を繰っても繰っても続く「こういう人世を送るとオレのような刑務所行きになるぞ」「すいません。すいません」という戒めと謝罪の連続を読む作業は、読み手にそれだけで十分な「戒め」となる。

 しかし、その文章の隙間に「ポツン」「ポツン」と埋められた「裏側」に込められた意図(賊としての心得・備忘録)に気がつくと、この「獄中日記」がただものでないことに目を見張ることとなる。

□刑務所の平凡な世界の裏世界

 第1冊目のノートの冒頭に、刑務所生活を過ごすうえでの「心構え」として、次のような5つのさとしが掲げられている。


   【忍】

   〈心構え〉

   思い悩むな対人関係 心に平静を保ち、言葉やわらかく

   勤労を尊ぶ心を養い、求めることを常とするな

   目標を確立する限り、その真価を発揮するよう努めよ

   これを機会に自己の欠点と及び短所となる長所(?)を改めること

   更ママを全うその瞬間我にママり欲望を抑止する外に道はなし

   この五ヶ条は実社会に於いても維持し続けなければならない 誓文

昭和63年○月○日 決誓自作


 賊が文章として示した「心構え」は明晰で硬い。硬さは、意気の強さを表す。読む限り、後悔と新たな出発への立派な誓いの文である。彼は必ずや立ち直っていくに違いないと十分に期待される。なにせ、これほどの「誓い」なのだ。

 しかし、彼がこの刑務所を出所した直後から、再び「見事な手口」で侵入盗を48回も繰り返していたという事実を踏まえ、「別の賊」が「別な角度」から心構えの裏面を読むと、実は「誓い」の裏面に、また別な「決意」がそこに浮かび上がる。

 たとえば第二条および三条の文。


   【忍】

   勤労を尊ぶ心を養い、求めることを常とするな

   →シャバに出たらしっかりと自分本来の勤め=稼業=盗人働きに専念するが、それも過分に欲を出さずにやることが大事だ(そうしなければ今回のように捕まるぞ)

   目標を確立する限り、その真価を発揮するよう努めよ

   →今度シャバに出たら二度と捕まらないよう、その目標に向けた技が発揮できるよう、この刑期中に身につける努力をしよう


 「心構え」の裏を私たちに読み解きながら、「別の賊」が独り言のようにいう。


   【猿】

   ほ~、ほ~(少しあざけるように)。

   へ、へ、へ、へ。

   先生(著者の清永。以下、先生は清永を指す)、さっきから「そうかー」といっていますが。このくらいのヤツ(日記を書いた賊)になると、そうやすやすと改心しませんよ。よっぽどのことがないと。

   こりゃー、長いこと勤めた経験を持ち、百戦錬磨のヤツですよ。

   こうした文章をただ読むと、立派な心がけだと思うでしょ。甘い甘い(手のひらをヒラヒラと振る)。

   よーし、シャバに出たら、今度は下手は打たないぞ、と覚悟を決め、自分の身につけてない技をこの機会に学んでやろう、てなもんですよ。

   自分もそうでした。

   誰が看守が見るノートに、「よし、今度はうまくやるぞ」と書くもんですか。

   先生でもそうでしょう? その気になってくださいよ。

   こういうのを自分たちは「刑務所太郎」というんですよ、看守の前ではいい子ですよ。

2009年○月○日 「別の賊」と清永の会話)


□刑務所の看守はどこを見ているか

 こうした「獄中日記」に書かれた内容は、刑務所内の看守の厳しいチェックを受ける。それでなくとも、起きて便所に行き、寝て寝言をいうのも監視されているのだ。

 どのような点が、看守によってチェックを受けるのか。

 少し長くなるが、日記の著者である賊(忍びの弥三郎)が「遵守事項」として「獄中日記」に書いた一部分をあげてみよう。


   【忍】

   遵守事項

   まえがき

   次に掲げることは、君達がこの施設に収容されている間(この施設の職員によって護送されている場合も含む)は、守らなければならない事項です。

   これに違反しますと、懲罰を科せられることがあります。また、これ等の行為でも刑罰法令に触れるものは、犯罪行為として事件送致又は告訴・告発されることがありますから十分に注意して下さい。

   1.逃走し、又は逃走することを企ててはならない。

   2.自殺を企ててはならない。

   3.許可なく、指定された席、もしくは場所を離れ、又は立ち入禁止の場所に入ってはならない。

   4.許可なく、又は許可された方法によらず外部の人又は、外部の機関と連絡し、又は連絡することを企ててはならない。

   5.収容者の間で、密書の授受又は、通声その他の方法により不正に連絡し、又は連絡することを企ててはならない。

   6.自分の身体を傷つけ、又は異物を飲んではならない。

   7.要求又は反抗の手段として、食事等をとることを拒んではならない。

   8.護送中は職員の指示に従い、勝手な行動を取ってはならない。

   9.他人の身体に危険を及ぼすおそれのある物を作成し、居室又は工場に持ち込み若しくは隠蔽してはならない。更に、これらのことを企ててはならない。

   10.施設の建物、建具、備品などを壊し、又は壊すことを企ててはならない。

   11.正当な理由がなく、非常ベル・電灯等のスイッチ又は、錠前に手を触れ、若しくは、上下水道の利用を困難にする等施設の機能を妨害し、又は妨害することを企ててはならない。

   12.収容者・職員などの人心を惑わす目的で、うわさを流し、又はうわさを流すことを企ててはならない。

   13.許可なく、物品を製作し、所持し、若しくは使用し、又はこれらのことを企ててはならない。

   14.給与された飲食物を他人に与え又は受け取ってはならない。また、他人に給与された飲食物を喝取し、又は窃取してはならない。

   15.他人とけんか・口論をなし、又はけんかすることを企ててはならない。

   16.公然と他人を中傷し、ひぼうし、又は、侮辱し若しくは他人に対し粗暴な言動をしてはならない。

   17.けんか・脅迫等不正な目的のために、他人を呼び出し、又は呼び出すことを企ててはならない。

   18.動作時限に従うことを拒否してはならない。

   19.建具、器具、備品、回覧紙、新聞紙又は図書(私本を含む)等に落書きし、又は破棄し、若しくは汚損してはならない。

   20.大声を発し、放歌し、口笛を吹き若しくは、扉や壁をたたき、又は足げり、その他のけん騒にわたる行為ママしてはならない。

   21.禁止した時又は禁止した場所において交談してはならない。

   22.残飯を室内に残し、又は、便所に流し、若しくは、保存して時間外に食べる等の保健衛生に害のあることをしてはならない。

   23.許可なく、洗濯・洗髪・拭身をしてはならない。

   24.作業中に雑談をし、又はふざけた態度をとってはならない。

   25.作業以外であっても、教育訓練等、特に義務付けられた課程の履修を正当な理由がなく拒み、若しくは 怠け、又は、他の訓練生の履修等を妨げてはならない。

   26.法令・生活心得等又は作業、教育、職業訓練実施上等の必要に基づく、職員の職務上の指示に対し、抗弁、抗命し、又は無視し、若しくは、その他の方法で反抗してはならない。

   他の収容者に対し、前各項に定める事項に違反することをすすめそそのかし又は 手助けしてはならない。


 こうした「~してはならない」という規範文章は、忍びの弥三郎が「獄中日記」に綴ったところではこの後も続き、計60項目以上に及ぶ。

 これらの「ならない」項目を犯した場合は、すべてきつい罰則が合法的、あるいは目には見えないが避けようのない肉体的精神的罰として非合法に適用される。刑期が長くなるか短くなるかも、規則に従うか否かで決まる。

 たとえば通常の家庭生活を送っている男性が、一度こうした「ならない生活」を、妻あるいは両親の視線の下で「犯した場合、1回につき1000円」という罰則で1日過ごしてみればいい。

 たちまち、1時間のうちに1万円を超すであろう。124万円。10日で240万円。妻もしくは両親は高笑いするに違いない。

 風呂に入り、髪を洗うこと、濡れた体を拭う、そんな日常の行為も許可を求めねばならない。怠ると罰が下る。食事は抜かれる、何を問いかけても何も答えてくれない、その理由はわからない。罰としては、十二分すぎる罰である。

 刑務所内のこうした監視下にあっては、「別の賊」がいうように、看守の目を意識した記述内容となるのは当然である。

第1章 「獄中日記」を読み解くにあたり(2)

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