「学生であることを尊重しない」労働の実態
学生を食い潰す「ブラックバイト」が社会問題化している.その恐るべき実態とは.親・教師に向けた対策も提示する.

1章 学生が危ない──ブラックバイトの実態

「たまたま」ではない

 第1章では、「ブラックバイト」の典型的な事例を見ていく。

 二〇一五年に、大学生約一〇〇〇人を対象に行われた厚生労働省の調査によれば、学生が就労するアルバイトの業種等は、コンビニエンスストア(一五・五%)、学習塾(個別指導)(一四・五%)、スーパーマーケット(一一・四%)、居酒屋(一一・三%)の順であった。

 一方、「ブラック企業対策プロジェクト」が二〇一四年に実施したより大規模な調査(四七〇二人を対象とした)では、「(居酒屋・ファストフード店・チェーンのコーヒー店を除く)その他のチェーンの飲食店」が二九・三%ともっとも多く、「居酒屋」も一八・七%を占める。「学習塾・家庭教師」も一五・六%だった。また、「その他小売(パン屋、弁当屋など)」が一五・五%、「コンビニ」は一五・〇%、「スーパー」は一〇・八%とやはり多数を占めている。

 ようするに、学生は「外食業」(居酒屋やファミレスなど)、「小売業」(コンビニやスーパー)、そして「学習塾」で主として働いている。重要なことは、これらの業種の多数が全国規模のチェーン店として展開しているということだ。なぜそれが重要かというと、「ブラックバイト」の事件には、やはりこうした大規模チェーン店が多く含まれており、名の知れぬ企業だけが「たまたま」例外的・特殊的に問題を引き起こしているわけではないからだ。

 これから本章で紹介する四つの事例はすべて、全国規模に展開する有名チェーン店である。

1 辞められずに「死にたいと思った」──外食チェーン店の事例

 第一の事例は、「しゃぶしゃぶ温野菜」で働いていたAさん(二〇歳、男性)の事例である。「しゃぶしゃぶ温野菜」は、全国に約三五〇店舗を構えるフランチャイズ展開の飲食店だ。そのフランチャイズ本部である株式会社レインズインターナショナルは、「牛角」「かまどか」「土間土間」など数多くの有名飲食店を経営し、年商二二五億円(二〇一四年三月期)を売り上げる大企業である。

お小遣い稼ぎのために始めたアルバイト

 Aさんは、大学一年生の二〇一四年五月に求人サイトから、しゃぶしゃぶ温野菜のアルバイト求人に応募した。アルバイトを始めようと思ったきっかけは、交遊費を自分でまかなうためで、週四回ほど働いて月に五万円程度の収入があればよいと思っていた。仕送りは月に一〇万円程度あり、授業料も両親が負担しており、どうしてもアルバイトをすることが必要な経済状態だというわけではなかった。

 求人への応募後すぐに採用面接があり、五月中旬から働き始めることになった。当時は知らなかったというが、Aさんが働く店舗を運営するのは、チェーン展開をしている「株式会社レインズインターナショナル」ではなく、「DWE Japan 株式会社」というフランチャイズ企業であった。Aさんはそうとは知らず、「しゃぶしゃぶ温野菜」を経営する大企業に応募したつもりでいたのだ。

 働き始めた当初は、Aさんにとって、けっして悪い職場環境ではなかった。契約通り、週四日ほどの勤務になっており、一七時から二三時くらいまで働いた。仕事内容は、洗い場と接客が主で、仕事も楽しかったという。もちろんその頃は、大学にも毎日通っていて、学業との両立もうまくいっていた。

繁忙期と人手不足による勤務の過酷化

 こうした状況が変わったのが、二〇一四年の一二月頃だった。ちょうど鍋物の繁忙期であるにもかかわらず、当時、フルタイムで働いていたいわゆる「フリーター」の男性が突然退職してしまい(彼は相当な長時間残業を強いられたうえ、店長からパワハラも受けていたという)、急に忙しくなっていった。さらに、追い打ちをかけるように、四、五人のアルバイトが退職していき、店舗の人手不足は深刻な状況になってしまった。人手不足ゆえに仕事が過密になり、そのためまたアルバイトが辞めていき、いっそう人手不足になるという悪循環に陥っていた。

 もともとこの店舗に在籍していたのは、店長一人とアルバイトが十数人だった。そこから五人程度が退職してしまい、残りのアルバイトへの負担は確実に増していた。その後、アルバイトの新規採用はあったものの、その多くが新人であり、教える手間がかかるため、けっして楽にはならなかったという。

 その頃には、Aさんも週五日もしくは週六日の勤務となり、営業中の接客や皿洗いだけではなく、閉店後の「クローズ作業」も任されるようになった。「クローズ作業」とは、大量の食器の洗浄と洗い場のシンクの清掃、ドリンクをつくるコーナーの清掃、揚げ物をつくるコーナーの清掃、客席やフロアの清掃などである。深夜のクローズ作業は、年齢や家庭の事情によって担当できない人がどうしても多いため、この仕事を覚えて以降はAさんがもっぱら引き受けざるを得ないようになった。こうしてAさんはお店を回すために欠かせない「戦力」となっていった。

「辞めたくても辞められない」

 Aさんは、一二月頃、あまりの忙しさに仕事を辞めたいと思うようになり、店長に退職したい旨を告げた。しかし、それに対し店長は「人数が今でも足りないのに、あなたが辞めたら店が回らなくなる」と言ったうえで、「本当に辞めるのなら、懲戒解雇にする。懲戒解雇になったら就職できなくなるよ」と脅したのである。Aさんは、その店長の言葉を信じてしまい、退職をいったんあきらめている。「懲戒解雇にする」「就職できなくなる」という言葉に、「やばい」と感じたからだ。

 二〇一五年の二月には、大学の春休みに入ったことを機に、Aさんは仕込み作業も任されるようになった。仕込み作業の内容は、その日に提供する予定の野菜のカットや、客席のテーブル上のセットなどであった。「しゃぶしゃぶ温野菜」で一日に消費される野菜の量は膨大で、平均すると野菜のカットだけで二時間程度はかかったという。店舗のルールとして、仕込みは一四時から取り掛かり、開店時間の一七時までに終わらせることになっていた。

 Aさんが勤めていたこの店舗では、その従業員の多くが高校生と大学生のアルバイトであり、昼前の仕込み作業をできる人は限られていた。また、店長も毎日閉店まで働いていたことや、別に店長業務があることから、仕込みの作業は他の従業員に任せていた。そのため、仕込みをやらせることができる(本来は彼も学校があるので担当できないのだが)Aさんは、ますます「貴重な戦力」と見なされるようになった。実際この頃、Aさんが仕込みのために一番早く店舗に来ることが増えたため、Aさんは店長から店舗の鍵を預けられている。そうすると、今度は自分が出勤するまで店舗が開けられないため(少なくとも店長の出勤時間まで)Aさんの店舗での責任はますます重いものとなっていった。

 仕込みを担当するようになってからは、一四時頃から二六時頃までほとんど休憩もなく働いていた。しかも、「戦力」であるAさんには休日すら与えられなかった。二月から三月にかけては、月に二、三日しか休めなかったのだ。Aさんは体力的にも苦痛を感じるようになっていった。

 こうした状況に耐えかねて、Aさんは、三月頃にも改めて辞めたいという意思を店長に伝えている。それに対し店長は、「店舗の衛生状態が悪かった」「皿を割った」などと、Aさんの仕事ぶりを責め立てた。そして、「お前どうやって責任とるんだ。死んで責任をとるしかないぞ」と言い放ち、激しい剣幕で怒鳴り、胸倉を摑まれたという。Aさんは、店長に恐怖を感じ、それ以上退職したいとも言えず、仕事を続けるしかなかった。

 一方で、実はこの店長も一月二日から一日も休まずに働いていた。人手が足りない中でなんとかしようと、店長も必死に働いていたことは確かなのだろう。後に店長自身、「学生アルバイトに負担をかけ過ぎないよう、自分ができる限り出勤して穴を埋めなければいけないという意識はあった」と主張している。実際に、Aさんの記憶によれば、一月二日から八月一二日までの七カ月以上ものあいだ、一日たりとも店長が出勤しない日はなかったのだという。

店長からのパワハラと意に反する自腹購入

 三月に退職を申し出て以降、店長のAさんに対する態度は段々と冷たくなり、理不尽なパワハラが増えていった。

 四月頃からは、些細なミス(皿を割ってしまったことなど)や、そもそもAさんの責任とは言えないこと(二時間コースのお客様が時間通りに帰らなかったなど)を理由に、自腹購入を強いられている。たとえば、食べ放題一〇人分(三万数千円)を一日で買い取らされるといったことがあり、のべ二〇万円以上を支払わされている。しかも、お金を支払っているというのに、商品を提供されることさえなかった。

四カ月連続勤務と損害賠償請求の脅し

 Aさんは、四月一一日に休んだのを最後に、一日も休むことができないまま、退職する八月一一日まで四カ月連続で働かされた。新学期に入ってからも、日中からの仕込み作業は無くなるどころか、それを任される日がさらに増えていき、学校に通えなくなっていった。六月頃には、毎日一三時頃から二六時頃まで働いていたという。

 これほどの被害に遭いながら、Aさんが辞められなかったのには理由がある。実はこのとき、店長から多額の損害賠償請求を受けていたのだ。「四〇〇〇万円の損害賠償請求をする」「会社がAさんを訴える準備をしている」「弁護士に相談している」という趣旨の脅迫が何度も行われていた。Aさんはそれを初めて聞いたとき「頭が真っ白になった」という。Aさんは、退職したら多額の損害賠償を請求されると思わされていたのだ。実際、後にAさんが加入することになる「ブラックバイトユニオン」(アルバイトの問題に取り組む学生主体の労働組合)に初めて相談に訪れたときも、一番気にしていたのは「損害賠償請求を止めてもらえるかどうか」についてだった。

 これに加えて、Aさんのミスのせいで店長が九月にクビになるとか、Aさんのせいで雑菌が検出され、スーパーバイザーが九月に異動になるといった噓を店長から聞かされていたために、申し訳ないと思う気持ちがつのり、辞められなかったのだという。

 七月から八月にかけては、店長から仕込みが営業時間に間に合っていないことを叱責されて、さらに出勤時間が早まり、一二時前後には出勤するようになった。また、土・日・月は、本来二、三人で担当する仕込みをほぼ一人でこなすようになったため、朝一〇時には出勤して、二六時頃まで働いていた。

テストに出たい。最後の苦闘も虚しく……

 七月中頃になり、大学ではテストや課題提出の時期になったが、店長はAさんの学業にまったく配慮する様子を見せなかった。Aさんは、テストや課題提出があるにもかかわらず、仕込み作業が日中から課せられていた。なんとかテストに出ようと自分から〝志願して〟、閉店作業の終了後の二六時頃から翌日の仕込みを行うようにした。店長も概ねそれを〝許可していた〟という。

 しかし、昼頃から一二時間以上働いた後の深夜二時から、早くて朝五時、遅いと朝九時まで続く一人きりの仕込み作業は、過酷を極めていた。Aさんは、仕込みの後にテストを受けに大学に行こうと考えていたが、四カ月近く連続勤務していた体は、それを許さなかった。なんとか仕込みを終わらせても、家や大学で力尽きて寝てしまい、テストを受けることは叶わなかったのだ。そのため、二〇一五年度前期の大学の授業の単位をすべて落としてしまった。

 八月初旬には、大学の必修授業の実習があったため(それに出席しないと単位を落としてしまうというもの)、閉店作業後に翌日の仕込み作業をしたいと店長に訴えているが、このときは店長から拒否されている。そのため、翌日も午前中から仕込み作業のため出勤するしかなく、その実習には行けなかった。このときに「もう本当に卒業できなくなる」と思って、「ブラックバイトユニオン」に相談に訪れたという。

 ユニオンの相談員との面談では、辞めても損害賠償を請求されないことや、辞めないと命の危険につながりかねないと説得された。しかし、なかなかAさんは信じられないでいた。それだけ職場という密室空間で脅迫され続けていたのだ。そこで、相談員はその場で弁護士にも電話で話をできるようにした。Aさんは弁護士からも「明日辞めても、こうした場合は、法的に当事者の非にならない」と詳しく説明を受けることができた。こうして「辞める」という意思がAさんの中でようやく固まったのが、八月一一日のことだった。

店長「今から家に行くからな。ぶっ殺してやる」

 Aさんは、八月一二日に退職を告げると決めていたので、一一日は「今日が最後だ」と思って出勤した。その日も相変わらず店長からさまざまな叱責を受け続けていたが、なんとか耐え抜いて勤務は終了した。もしかすると、「辞める」という決意から、普段よりも店長に対する萎縮がいくぶんか緩んでいたからなのかもしれない。勤務からの帰りがけの深夜二五時過ぎに、店長から電話がかかってきたのだ。店長はAさんの勤務態度に不満を述べたうえで、途中から激昂し出し「今から家に行くからな。ぶっ殺してやる」と脅迫した。Aさんは、「店長が家に怒鳴り込んで来るかもしれない」と思って怖くなり、帰宅後すぐに荷物を持って友人の家に避難した。

Aさん「死にたいと思うこともあった」

 Aさんは、ユニオンに相談に訪れたときには、もう大学生活は半ばあきらめており、大学を辞めようかと考えていたという。店長から度重なる叱責を受けていたため、「自分が悪い」という自責の念が強く、家族や友人にもなかなか相談ができなかった。

 また、疲れているのに寝つけない、寝ても疲れがとれないなど、不眠やうつの症状も現れていた。Aさんは、ユニオンに相談する前には、何度も「死にたいと思うこともあった」という。その後、精神科医から、不安障害・うつ状態と診断されている(なお、本書執筆時、Aさんは無事退職した。Aさんと「ブラックバイトユニオン」は残業代不払い、パワーハラスメント、労働災害などの責任について会社と交渉中である)

1章 学生が危ない──ブラックバイトの実態(2)

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