いまや「斜陽産業」暴力団の実態とは
怖くて誰も書けなかった、これが「暴力団の虚像と実像」! 新宿歌舞伎町の通称・ヤクザマンションに事務所を構え、西成の賭場に単独で潜り込み、ヒットマンの壮行会に列席…著者の日常はまるで“東映ヤクザ映画の世界”。警察が山口組の弱体化目的でナンバー2と3を逮捕した2010年の「頂上作戦」以降、組はますます潜行し正体が見えづらくなった。しかし「殺すぞ」などの脅迫にも怯まず15年、暴力団専門ライターとしてヤクザと寝食を共にしてきた経験がここに結実!

《序 章》 山口組 vs. 警察

山口組ナンバー2の逮捕

 20101117日、午前10時──。

 新幹線を京都駅で下車し、構内にある交番に向かった。目的地を尋ねると、年配の警察官は困惑顔だった。

「へっ、西にしきよう署かいな……ちょっと前まで、そこ、桂署言うたんですわ。どのへんやったかな。どうやって行ったらええんかな。ちょっと待ってぇな」

 警察官が警察署の場所を知らない……民間企業ではあり得ない事態にこちらも戸惑ったが、紅葉シーズンまっただ中のため、その間も観光客がひっきりなしにやってくる。十数人に追い越された頃、見かねた別の警察官が西京署に電話をかけ、道順を訊いてくれた。

 地下鉄に乗って四条河原町に向かう。

 京都は昔から暴力団と地元企業の関係が深く、ヤクザたちが「あそこはズブズブだ」と評する特殊な街だ。つい34年ほど前まで、祇園にある観光客向けの飲食店に絵画が飾られていて、額には地元暴力団・会津小鉄のトップから寄贈されたことを示すサインがあった。京都駅も、この地下鉄の建設にも、地元の暴力団関連企業が絡んでいた。

 再び地上に出ると、ビルの谷間から絵の具を撒いたような真っ青な空が見えた。景勝地を見物するなら最高の天気だが、あいにくこちらの目的は暴力団で、浮かれた気分ではない。

 阪急線に乗り換え、桂駅で降りる。15分ほど歩くと、目的地の西京署が見えてきた。ごく普通の警察署で、すぐ隣に西友があった。急なことで脚立を忘れてきてしまったが、ここで調達できるだろう。

 とりあえず西京署の周囲をぐるりと回った。裏手に葬儀場があって、2階に上がれば警察署内部も撮影できるとめどをつけた。警察署は撮影に向いた場所とそうでないところの差が大きい。立地条件はまずまずといったところだろう。

 急遽、なぜ西京署に来たか?

 この日の午後6時過ぎ、山口組のナンバー2である山清司若頭が逮捕され、西京署に連行されると聞いたからだ。記者クラブではまだ発表されていなかった。山口組関係者に漏れないよう気を配っているのかもしれない。事実、こうした事件の際、警察から情報が漏れ、逮捕に失敗する例は多い。マスコミにも内通者はいる。大手の社員だから信用できるというものではない。

 弁護士のがり俊郎はその著作である『激突!』の中で、20062月、格闘技イベント『PRIDE』(暴力団の関与が表沙汰となり消滅)に絡む恐喝事件の主犯格を、情報漏洩によって取り逃がしたとき、安森智司神奈川県警刑事部長(当時)が「不首尾に終わって申し訳ない。まさか情報が漏れるとは思っていなかった。もう、神奈川県警では暴力団事件はできない」と謝罪に来たと憤慨している。その猪狩は20108月、フィリピンで不可解な自殺を遂げた。暴力団による謀殺説もあるが、フィリピンのようになんでもありの国で死なれては、真相究明は不可能だ。

 ……ともかく、極秘情報だけにどこかに確認するわけにもいかなかった。ガセネタの可能性は十分あった。暴力団筋にあちこち電話をして探りを入れても、詳しい話はできない。誰も知っている様子はなかったように思う。山若頭が率いる弘道会関係者でさえ、ひどくのんびりしている。

 おおよその時間は分かっているが、当てにはできない。西京署の前で時間が経つのをひたすら待った。日が沈んだ京都は急激に冷え込み、冷えきった体が小刻みに震えた。午後5時すぎ、2台のワンボックスカーが西京署の前に停まった。数人が車に乗っては降り、暖を取りながら様子をうかがっている。間違いない。テレビ局のクルーだ。確信した。Xデーは今日だ。

 予定時刻が近づくと、テレビ局も撮影の準備を始めた。スーツにマフラーを巻いた若いレポーターが、ひっきりなしに電話で話していた。他社を出し抜き、すっぱ抜いたことに興奮しているのだろう、その声はうわずっていた。

「うちともうひとつ……あと朝日新聞が来てます」

 辺りを見回してみても、スチールカメラを持っているのは我々しかいない。フリーの雑誌屋など来るはずがない、と見くびられているのだろう。1時間後、京都府警本部からやってきた警察幹部が4人、西京署に入っていった。

 それでも撮影クルーは敷地内に進入するのをためらっていた。ということは、やはりスクープなのだ。通常の場合、殺到するマスコミを整理し混乱を防ぐため、それに応じた数の警察官が配備され、これ以上は入ってくるなという具体的な指示も出される。にもかかわらず、西京署は静まり返っており、そんな様子はない。予定時刻をかなり過ぎても、報道陣はテレビ局2社と真っ赤な偽物の朝日新聞記者──つまり我々だけだ。

 ときおり来訪する一般人が、我々をみてギョッとしているが、さりとてとがめられることもなかった。8時半ころ、ようやく地元紙のカメラマンや通信社がやってきた。どうやら京都府警は山若頭を取り逃がし、記者クラブで騒ぎになっているらしい。ネタ元から電話が入る。

山若頭は普段通り麻雀に行くと言って出かけた。よみうりテレビがつけ回したのを嫌がったという話もある。建物に入るのは確認したが、踏み込んでも姿はなかった」

 警察は厳重な行動確認をつけていただろう。それをかわしたなら、さすがというしかなかった。先ほど西京署に入っていった幹部たちが引き上げていった。背広姿の刑事がやってきて、

「組対二課(組織犯罪対策第二課)長も帰った。それだけ言っておく」

 と、ぶっきらぼうに言った。

 ホテルでテレビを観ていたら、夜中、山若頭に逮捕状が出されたと報道された。こうなった以上、警察は記者クラブに正式なアナウンスをするはずで、よくある光景──容疑者を乗せた車が、ごった返す報道陣の前を通りすぎるというサービスが実施されるはずだ。山若頭もそれは重々承知だろう。ということは、報道陣を避けるため深夜に出頭する可能性もある。

 となれば、場所は府警本部しかない。ベッドから這い出てタクシーに乗った。写真など撮れなくていい。ただその瞬間をこの目で確かめたい。山若頭の逮捕によって、ヤクザ組織は間違いなく変化する。ここまで強引な取り締まりをされれば、地下潜行しか道はない。

各都道府県警に特別チーム

 警察にとって、日本で一番逮捕したいヤクザは、間違いなく山若頭その人である。

 日本最大の指定暴力団である山口組の実質的な指揮官であり、山口組の中核団体となった弘道会の二代目組長の逮捕を目指し、各都道府県の警察が多くの人員と予算をつぎ込み捜査中だった。地元の愛知県警はもちろん、警視庁や大阪府警、山口組本家のある兵庫県警にも特別チームが編成されていた。リミットは翌20114月──同じ弘道会出身で山口組のトップである司忍六代目が府中刑務所を出所する時だ。

 親分の出所までに弘道会を弱体化させる──。

 警察庁が弘道会への集中取り締まりを指示したのは20099月末だった。二次団体の摘発を具体的に表明するのは異例のことで、2010年の上半期、弘道会関係者の逮捕は前年比で361%(1022人)と大幅に増えた。警察が目の敵にする弘道会は、一面、最も道徳的な暴力団でもある。たとえば、麻薬・覚せい剤という暴力団にとって最も旨味のあるシノギをしない。その状況でこれだけの逮捕者なのだから、どれだけ厳しい取り締まりだったか分かる。

 加えて20105月には、警察庁長官が直々に「弘道会の弱体化なくして山口組の弱体化はなく、山口組の弱体化なくして暴力団全体の弱体化はない」と言及、「弘道会やその傘下組織の首領級の上部幹部検挙と、主要な資金源の遮断を徹底し、弘道会の弱体化、壊滅を現実のものとされたい」と発言している。噛み砕いて言えば、弘道会の偉いヤツをパクってこい、という意味だ。当然、トップである山若頭は最重要ターゲットで、ずっとマークされていた。逮捕されるという噂は2009年から何度も出ては消えていた。

 翌朝、案の定、記者クラブに通達が出た。午前6時過ぎ、西京署に山若頭を連行するというのだ。前日とは打って変わって西京署にマスコミがごった返し、署内にカメラマン席が作られた。喧噪の中にいると、段々、イライラした気分になってきた。

 我々だって下世話な見物人には違いない。山若頭の逮捕をメシの種にしていることは同じだ。しかし、「先導する覆面パトカーの後ろ、セレナの運転席側後部座席に乗っている」という細かなことまであらかじめアナウンスされると、サービス過剰と思ってしまう。その上、カメラマン席の前で一定の時間停車するというのだ。やり過ぎだ。

 事実、覆面パトカーの赤い回転灯が見えると、その後ろには予告された通りのセレナが続いていた。西京署の正面入口の左隣に、車両の通行口があって、そのシャッターがゆっくり開いていった。車の列がやってくると、フラッシュが連続して光り、肉眼でもセレナの車内が透けて見えた。キャップを被った山若頭は真正面を見つめ、微動だにしなかった。

 車は署内の裏口に停車し、降車の様子は見えなかった。

「どうだ、うまく撮れたか?」

「はい、ばっちりです!」

 地元記者の一人はウキウキした様子で、デジカメの映像をディスプレーに映し、府警幹部にみせていた。

 記者クラブには、事件の概要を記した書類が配られる。報道各社はこれをせっせと写して記事を書くのである。

「六代目山口組若頭二代目弘道会会長山清司の逮捕について」

 というプレス用のリリースは、以下のようになっていた。

 指定暴力団六代目山口組弘道会等取締対策捜査本部(組織犯罪対策第二課、西京警察署等)は、本日、多額恐喝事件でみだしの被疑者を逮捕したので連絡します。

1 逮捕日時 本日 午前500

2 逮捕場所 兵庫県神戸市中央区熊内町

3 被疑者 住居 兵庫県神戸市(中略)指定暴力団六代目山口組若頭(二代目弘道会会長)山清司(たかやま きよし)63

4 被害者 京都市内居住 A氏(65歳・男性)

5 事件概要 被疑者は、A氏から事業活動等に対するみかじめ料の支払い名下に金員を騙し取ろうと企て、よし、西田弘一、鄭英昭らと共謀の上、平成177月末から同年12月初旬にかけて、京都市内のホテル等において、A氏に対し、「我々は、Aさんを全面的に面倒をみることになった。ついては、面倒を見るお代としてみかじめを持ってきて欲しい。」「名古屋の頭に届けるから、1000万円以上は持ってきてくれ。」等と脅迫して執拗に金員を要求し、同年1230日、同市内の別のホテルにおいて、A氏から現金1000万円を脅し取り、さらに、平成182月頃から同年12月中旬にかけて、同市内に所在のA氏の関係会社等において、A氏に対し、「山口組としての決定事項を伝える。」「Aさんがやっている仕事はおうを窓口として通して欲しい。盆暮れも餞別を頭に届けて欲しい。」「仕事を一緒にやろうやないか。」「仕事とは別に1000万円以上は持ってきてや。」等と脅迫して金員の要求を執拗に継続し、同年89日に現金2000万円、同年1218日に現金1000万円を同市内の喫茶店において脅し取ったものである。

 プレスリリースに載っている3人の共犯者はすべて起訴され、500万円を受け取ったとされる幹部は、恐喝によって4年の実刑となっている。恐喝には金額によって相場があって、もし4000万円の恐喝で有罪・実刑となれば、67年の懲役だろう。その後、4A氏こと、同和団体の上田藤兵衞会長は『週刊ポスト』(20101224日号)でインタビューに応じた。

 否認を続けている山口組直参・淡海一家の山誠賢総長(これは渡世名)は恐喝での立件ではなく、2010514日、組織犯罪処罰法違反によって起訴された。山若頭逮捕の噂は、すでにこの時からあった。被害者とされる男性がICレコーダーを持っており、その模様を録音したとされ、これが物証になると言われていた。

 解析の結果はいったんシロとされた。

 山若頭の「これからもよろしく頼む」というセリフは、録音データから選び抜いた警察の拠り所なのだろう。一般的にみればこれが恐喝に当たるはずがない。自分の配下と付き合いのある事業家と会食したら、誰でも同じことを言うはずだ。

 山若頭逮捕の翌日、弘道会側は改めて共犯者の調書をチェックしたという。しかし淡海一家の総長が山若頭の関与を供述するはずはない。淡海一家の総長は会津小鉄の先々代の実子で、滋賀商銀(現・近畿産業信用組合)勤務のあと事業家をしていたカタギである。「国家権力の横暴さと卑劣さは、(中略)私をいままでとは少し違った形の〝アナキスト〟(無政府主義者)にした」(『忘れかけたら初心にかえる』山義友希著)。紆余曲折を経て暴力団社会に入ることとなったのは、弘道会に対する恩義からだ。口が裂けても言えない。殺されたっていうはずがない。

 暴力団筋の一方的な見解はこうだ。

 被害者の上田会長は一方的な被害者ではない。その上田会長が警察の求めに対して被害届を提出したのは、自分が脛に傷持つ身であり、京都府警が上田会長の生活基盤を崩壊させるだけの事件を握っているからだという。それは一般的な経済事犯等とは違い、きわめて暴力団に近い行動原理・手法に基づく世間体の悪い事件だ。警察はそれを握りつぶす代わり、山若頭への被害届を出すよう要求した──。これが事実なら、いずれなんらかの証言が出る。警察が手のひらを返し、上田会長を刑務所に送ることだってあるだろう。山口組の跳ねっ返りによる襲撃から守るため多くのSPを動員し警護するより、刑務所の独居に拘禁してしまうのが手っ取り早い。

《序 章》 山口組 vs. 警察(2)

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