「流言やデマが人を殺す」 3・11人災の再検証
流言やデマはどのように生まれ、広がるのか? そのメカニズムを解説し、ダマされない・広めない基礎知識を伝授。

序章──なぜ、今、流言研究か

*災害時における「情報」の重要さ

 日本は「震災大国」であり、これまでにも数多くの大震災を経験してきました。それは同時に、数多くの復興経験もあるということです。私たちは震災を乗り越えるたびに、「震災とどう向き合っていけばいいのか」と知恵を絞り、次の災害に備えてきました。2011311日に生じ、甚大な被害をもたらした東日本大震災から、まだまだ復興していない現段階でこう述べるのは気が早いかもしれませんが、やはり今回の大震災からも、私たちは多くのことを学び、その教訓を後世に残していく必要があります。

 震災などの災害に関する研究には様々な分野がありますが、その中の一つに、流言やデマに関するものがあります。というのも、こうした大災害時には必ず、数多くの流言やデマが発生するからです。流言やデマは、人びとの心を惑わせ、誤った行動をとらせます。その結果、災害による二次被害を拡大することにもなりかねません。そのため、いかにして最小化するのかも、災害時の重要な課題になります。

 一度、大災害が起きれば、さまざまなライフラインが失われるため、被災地域以外のところから、迅速な支援を行う必要が生じます。被災した地域を救援するためには、人・水・モノ・カネ・情報、それぞれの分野で実にさまざまな課題があります。中でも情報の分野では、実態の把握、余震や津波などの災害情報の共有、避難勧告の発信、連絡手段(現在では携帯電話回線やインターネットを含む)の確保、災害弱者(障害者や外国人など)への情報提供、国民や海外への支援の呼びかけ、問題報道の最小化などが挙げられます。

 情報が必要なのは、被災者はもちろんのこと、救援者、支援者も同じです。適切に情報が共有されれば、被災者をスムーズに救出し、適切に支援することができます。短時間で現地の状況や被災者のニーズを把握し、共有することによって、効果的な支援を行うことができれば、復興のための指針を作り、安心感を共有することもできるわけです。

*流言・デマは人を殺す

 しかし、情報が適切に行き届かなければ、救援活動に多くの支障をきたします。特に流言やデマは、適切な情報共有を阻害する要因になります。ただ単に救援活動を遅らせてしまうだけではありません。流言やデマは、具体的な仕方で人を殺してしまうこともあります。

 流言やデマが人を殺す。これは、比喩でも何でもありません。皆さんもよくご存知のように、関東大震災のときには、「朝鮮人が井戸に毒を入れた」といった流言が広がり、そのために多くの人びとが民衆の手によって殺されました。非常時でなくても、流言によって悪評を向けられた人が殺されるというケースは多々起こっています。古今東西、いつでも、どの国でも、流言やデマが具体的に人を殺すということは起こりうるのです。

 今回のような大震災の場合、流言やデマは、直接的な暴力を発生させるだけでなく、救命のためのチャンスロス(機会損失)を生みます。たとえば「被災地の○○で救援物資を募集しているらしい」という情報が広く共有されたとします。その情報が誤りであり、しかも多くの人が信じてしまった場合、必要のない救援物資が最前線で活動をしている人たちのところに大量に届いてしまうわけです。すると、本当に必要な物資を届けるための物流を滞らせ、不必要な物資をより分ける作業に人手を取り、余分な保管場所を確保させ……といった具合に、現地で一刻を争って働く人びとに、無駄な負担をかけてしまうことになります。

 あるいは、政治家や、特定の組織の職員・社員などに対するバッシングの流言が広がったとしましょう。それを見た「正義感に燃えた人たち」が、続々と抗議の電話などを行った場合、救援のために本当に必要な電話がつながりにくくなったり、電話などへの対応に人員を割かざるをえない状況が生まれてしまいます。流言やデマを信じた人たちの行動が「善意」に基づくものであっても、それが「善行」として機能せず、むしろ救命活動のためのチャンスロスを生んでしまうのです。

 震災から一週間後、次のようなお話を被災者の方から伺いました。被災直後は、携帯電話やインターネットなどの通信手段を使うことができず、多くの方が家族や友人と連絡がとれませんでした。電気も止まっていたので、充電する手段もありません。ようやく携帯電話の電波が入るようになり、その方も急いでメールの受信ボタンを押したのですが、受信ボックスに大量のチェーンメールが届いてしまいました。そのため、安否確認の情報をなかなか受信できず、残りの電池もわずかであったため、大変に焦ったということです。

 また、次のようなお話も伺いました。避難所で生活していた方々のところに、被災地以外の場所で流通していたチェーンメールが届きました。その内容がセンセーショナルなものだったので、メールを受け取った被災者の方を中心に不安感が広がってしまった。メールの内容が事実かどうかを確認しようにも、ネットを使って調べることも自由にならない。その方はネットが通じるまでの間、大変、不安な気持ちで過ごされたそうです。

 このように、震災時の流言やデマは、単に「間違った情報をみにしてしまうと恥ずかしい」という話では済みません。大きなパニックを引き起こさなかったとしても、時間や物資、連絡手段などの限られる非常時には、救援活動を遅らせ、被災者などの不安感情をより拡大してしまうことにもなりかねません。ですから、非常時においても、流言やデマが広がりにくい環境をいかにして作っていくのかという課題が重要になるわけです。

*流言・デマに応答するということ

 しかし、とはいえ、流言やデマの専門的な研究者がこれまでの震災時に役立ってきたのかといえば、そうでもなかったと思います。それは、流言を研究する社会心理学者の多くは、流言を収集、分析し、理論形成をするプロフェッショナルではあるものの、「今まさに起きている流言を検証し、中和する専門家」でもなければ、「流言やデマが発生しにくい環境を作るための専門家」でもないことが多いからです。

 これは別に、研究者の怠慢であるということではありません。単に、これまでの社会では、「今まさに起きている流言」に、リアルタイムで対処するような手段がぜいじやくで、研究者のところに流言が届くまでにタイムラグがあり、また専門家が流言を否定するためにアナウンスする手段も心細いものだったということです。また、流言の研究者は、ジャーナリストではありませんから、流言の裏をとる、確認するということができない場合も多く、誰かが調べたのを待ったうえで事後的に対応する、という形をとらざるをえませんでした。

 実際、新聞などが流言を取り上げる場合、記者が調査した内容を報告したうえで、最後に権威付けのために、研究者や専門家などの注意喚起のコメントを一言だけ載せる、という形態をとることがほとんどです。「これとこれはデマ」という専門家の指摘を掲載することは、実に稀でした。ただ、ウェブ上にとびかう流言やデマについては、専門家でなくても、すぐに介入することが可能です。

 そこで、2011311日に東日本大震災が発生してから約一カ月間、私は自分の運営するブログ「荻上式ブログ」にて、ウェブ上に広がる流言やデマについてのまとめ記事を書き続けました(図1)。私自身は、大学院生時代に流言やデマに関する社会理論を少し学んだ程度で、流言についての専門的な研究者ではありません。ただ、空いている時間を、簡単な検索とまとめ記事の作成に費やしただけです。そして、私のブログを読んでくれた記者の方から多くの問い合わせがあり、新聞、ラジオ、雑誌、テレビといったメディアを通じて、「これとこれは流言・デマです」といった具体的な情報を発信させていただくこともできました。

 これからはますます、流言やデマに対してリアルタイムで応答する必要性が高まっていくでしょうから、流言を研究するだけでなく、それに応答していく専門家の役割も、重要になることと思います。そうした役割を担う人が今後生まれ、またその仕方がより洗練されたものになっていくためにも、この本が活用されることを願っています。

序章――なぜ、今、流言研究か(2)

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