イスラエルに学ぶ、日本が生き残るための知恵
なぜイスラエルは強国なのか!? 世界の鍵となる国を第一人者が徹底解説。

Ⅰ 私とイスラエルについての省察ノート

1話 なぜ私はイスラエルが好きなのか

 日本の論壇では、中東問題について、親パレスチナ、親イランの言説が大手を振って歩いている。筆者は、数少ない、イスラエルの立場を理解しようとつとめる論客に数え入れられているようだ。講演会の質疑応答でも、(あまり数は多くないが)思考が硬直し、自らが日本人であることを忘れ、ハマスやヒズボラの代理人であるかの如き人を相手にすることがある。

 あえて挑発的な表現をするが、平均的日本人が中東問題について発言する場合、イスラエルを支持するか、ハマス、ヒズボラ、イランを支持するかは、究極的にその人の「ひい筋」の問題と思う。論者の趣味、あるいは差異の問題と言い換えてもよいかもしれない。ヘーゲルの理解では、矛盾や対立は解消可能であるが、差異は解消できない。

 筆者がイスラエルを支持する理由はいくつもあるが、その基本は、日本とイスラエルが、国際関係の「ゲームのルール」を共有していることだ。ハマス、ヒズボラ、イランは、いずれもイスラエルの生存権を否定している。これに対して、イスラエルは、イラン、レバノンという存在を認め、将来のパレスチナ人国家の創設を認めるという基本的立場をとっている。

 イスラエルを植民地扱いし、ユダヤ人を追放するような乱暴な言説が日本で流通していることは、偶然でない。構造的要因がある。その原因の一つが日本外務省のアラビア語専門家の養成システムにあると筆者は考えている。

外交官の語学研修

 外交官は、キャリア(国家公務員採用総合職試験合格者)、ノンキャリア(外務省専門職員採用試験合格者)のいずれであっても二~三年の在外研修を行なう。

 外務省は、日本の大学の外国語教育をまったく信用していない。実際、ロシア語やドイツ語でも、大学の第二外国語で単位をとって、中途半端な知識がある者の方が、ゼロからスタートする者よりも語学力は伸びない。外務省の研修生には、学位取得は求められない。それよりも少しでも現地人に近い語学力を身につけろと命じられる。

 英語、ドイツ語、フランス語などの研修期間は、キャリア、ノンキャリアともに二年である。

 これに対して、ロシア語、中国語、アラビア語は、キャリアは三年、ノンキャリアは二年だ。キャリアが一年長いのは、英米で地域研究を行なうからという建前になっているが、実際は英語を習得するためだ。キャリア職員の場合、ロシア語、中国語、アラビア語などの特殊語を研修しても、実務では英語を用いる機会が圧倒的に多い。フランス語、ドイツ語の研修ならば、これらの研修語と並行して、英語を勉強することができるが、ロシアや中国で英語を勉強しても、外交実務をこなす水準に到達しないので、キャリア職員には一年間、英語圏で研修する機会を与えているのだ。

 ちなみに筆者は、ノンキャリア職員であるが、一年間(正確に言うと一年二カ月間)、英国で研修した。ソ連は日本を敵視し、モスクワ国立大学に直接留学しても、ロシア語の基礎力が身につかないからだ。かつて、笑い話のような事実を『自壊する帝国』に書いたので引用しておく。

〈ソ連建国の父レーニンは、西側の外交官はすべてスパイであると考えていた。語学力が弱くてはスパイとしては使い物にならない。従って、〝スパイの卵〟である日本外務省の研修生が、できるだけロシア語が下手になるような特別コースがモスクワ大学には用意されていた。

 私たち外務省研修生には、ロシア語の基本文法をシステマティックに学ぶ予科や、外国人へのロシア語教育を専門にするプーシキン大学への入学が認められず、中級程度のロシア語の知識があることを前提とする言語学部人文系外国人用ロシア語学科にしか受け入れられなかった。人文系学部棟八階の東端にある外国人用ロシア語学科以外の授業を聞くことをソ連当局は認めなかったのだ。ここでは、とても奇妙な授業が行なわれていた。例えば、自由討論のテーマは以下のようなものだ。

「イラン・コントラ疑惑(CIA〈米中央情報部〉が国交を断絶しているイランにひそかに武器を売却し、ニカラグアの親米反政府組織『コントラ』の支援資金にしていたという事件)におけるアメリカとその同盟国の二重基準を批判しなさい」

「日本における少数派差別と、それに対していかなる政治勢力が果敢な闘争を行なっているかについて論じなさい」

 この自由討論のクラスメートは、東ドイツ、ブルガリア、シリアの学生で、私以外の資本主義国出身者はノルウェーの大学助手だったが、彼女はノルウェー共産党員だったので、授業では私だけがつるし上げられることになる。〉(佐藤優『自壊する帝国』新潮文庫、〇八年、五四~五五頁)

英国の陸軍語学学校

 モスクワ国立大学がこういう状態だから、研修生は英国か米国の陸軍語学学校でロシア語文法の基礎を学んだのである。ロンドン郊外(バッキンガムシャー州)のベーコンズフィールドにあった陸軍語学学校のロシア語学科では、毎日二五~二七の単語、五~七のフレーズを暗記するというスパルタ式授業が行なわれていた。授業は英語で行なわれるので、同時に英語力もそこそこつく。

 今から振り返ってみると、英国でロシア語を学んだことはひじょうによかった。神学や哲学への問題意識が先行していた筆者の場合、ロシア語を習得するためには、軍隊のような施設に缶詰になって、余計なことは考えずにひたすらロシア語学習にだけ専心する必要があったと思う。さもなければ、文法や基本をおろそかにして、いきなりロシア語の思想書や文学書の読解に取り組んで、結局、かなり怪しげな語学力しか身につかなかったと思う。それと、一年強、英国軍人と将校宿舎で寝食をともにしたために、英語に対する抵抗感がなくなったことも、その後、外交官活動をする上で役に立った。

中東言語の研修先

 外務省で、キャリア職員が学ぶ中東言語はアラビア語だけである。研修期間は三年間で、最初、シリアかエジプトで二年間学び、残り一年は英米で中東地域研究を行なう。この英米研修の目的も、中国やロシア語を研修するキャリア職員と同じで、英語に慣れ親しむことだ。

 ノンキャリア職員が学ぶ中東言語は、アラビア語、ペルシア語、トルコ語、ヘブライ語である。トルコ語、ヘブライ語の研修期間は二年、ペルシア語は二年半、アラビア語は三年である。ただし、アラビア語を研修する専門職員の場合、キャリア職員のように英米に留学することはなく、シリアもしくはエジプトで三年間まるまる研修する。

 外交官は、青年時代に語学を研修した国にかれるのが一般的傾向だ。もっともソ連時代にロシア語を研修した外交官だけは、KGB(ソ連国家保安委員会=秘密警察)による嫌がらせを日常的に受けたので、ロシア人を嫌いになる事例が多い。アラビア語研修の外交官の場合、親アラブ的になる人が多い。

 筆者が外務省に入省したのは一九八五年であったが、その頃、アラビア語研修生の八割がシリア、二割がエジプトに留学していた。当時、シリアはソ連の軍事同盟国だった。エジプトの方が西側と価値観を共有している。それにもかかわらず、シリアに研修生を送るのは、エジプト方言よりも、シリア方言の方が、はんよう性が高いという判断からだった。

 外務省に入ってくる二〇代前半の若者たちは、基本的にノンポリで素直だ。従って、研修地での教育の影響を受けやすい。

「敵ってだぁれ」

 一九九九年春のことと記憶している。すずむね内閣官房副長官(当時)から電話がかかってきた。外務省の中東を担当する専門家たちとしゃぶしゃぶを食べるので同席してくれという話だった。

 ちょうどその頃から筆者はイスラエルとの関係を深めていた。その会合には、筆者が信頼するヘブライ語の若手専門家も出席するということなので、「よろこんでおうかがいします」と答えた。その日は、ロシア内政に関する資料を作っていたので、午後九時頃に指定されたあかさかつけの雑居ビル地下のしゃぶしゃぶ屋に行った。アラビア語の専門家数名とヘブライ語の専門家が二人いた。

 会合は七時半から始まった由で、参加者はだいぶワインを飲んだようで、全員、若干、れつが回らなくなっていた。鈴木氏は一五分くらい前に来たとのことで、ワインを飲みながらしゃぶしゃぶをつまんでいた。

 アラビア語専門家でもイスラーム教徒はあまりいない。しかし、任地でアルコールを飲むことがあまりないので、酒豪は少ない。ロシア語専門家の場合、一食で一人あたり五〇〇グラム(ロシアのレストランでは、ウオトカはグラムで注文する。五〇〇グラムは標準的なボトル一本だ)くらいは平気で飲む。だからワインくらいで酔うようなことは滅多にない。アラビア語専門家たちはかなり酔っていたが、意識はしっかりしていた。

 あるアラビア語の専門家がヘブライ語の専門家の目を見据えて言った。

「いま、私は敵の言葉を勉強しているからね。いまにみていろ。思い知らせてやるわ」

 彼女はなかなかアラビア語がよくでき、現地事情にも通暁しているといわれる評判のよい後輩だった。

「敵ってだぁれ」と筆者が尋ねた。

「ヘブライ語を話すあいつらよ。国名すら口にしたくない」

 彼女のひとみの中では、一九六〇年代末に爆発的人気を博した劇画「アタック№1」の主人公・あゆはらこずえのように炎が燃えている。いったいどうしたのだろうかと筆者は思った。

「敵って決まっているじゃないの。あのシオニストの国よ」

 この女性外交官は、イスラエルという国名を口にするのをほんとうに毛嫌いしているのである。その話を聞いた瞬間に、筆者にはモスクワ時代の記憶がよみがえってきた。

ユダヤ人に行なわせた反シオニスト委員会

 旧ソ連では、建前上、反ユダヤ主義、アンチセミティズムに反対するということになっていた。しかし、実際には反ユダヤ主義がソ連社会全体にまんえんしていた。そこでソ連共産党は、「反シオニズム」という言葉を用いた。ユダヤ人は立派なソ連市民であるが、イスラエルへの帰還を求めるシオニストはソ連国家の敵であるというキャンペーンを展開したのである。そして、モスクワに「反シオニスト委員会」という民間団体を組織し、反イスラエル活動を展開させていた。

 ソ連当局が陰険だったのは、反シオニスト委員会の運営をユダヤ人によって行なわせたことである。

 もちろんソ連に純粋な民間団体など存在するはずはない。後ろでKGB(ソ連国家保安委員会=秘密警察)が糸を引いていた。筆者は、モスクワ川のほとりにある「反シオニスト委員会」の本部を一度だけ訪ねたことがある。一九九〇年のことだった。対応した幹部たちは、「日本人で訪ねてきた人は初めてだ」と言って、歓待してくれた。幹部たちは、ゴルバチョフ・ソ連共産党書記長(当時)がイスラエルと国交を正常化することに強い危機感をもっていた。そして、「反シオニスト委員会としては、ソ連のユダヤ人がイスラエルに帰還するよりも、ハバロフスク近郊のユダヤ人自治州に集まって、ソビエト的ユダヤ人の共和国をつくるべきだ」と主張していたことが印象に残っている。

シリアに留学した優等生

 この女性外交官のイスラエル観を知って、筆者の心の底から、「これはまずい」という気持ちがわきあがってきた。

「あなた、イスラエルに関して、敵であるとか、シオニストの国などと吐き捨てるように呼ぶのはよくない」

「どうしてですか。パレスチナ人をあれだけ虐殺しているシオニストの存在を私は認めることはできません」

「あなたがイスラエルを認めるかどうかは、関係ない。あなたはどこでアラビア語を勉強したの」

「シリアでです」

「誰のお金で勉強したの」

「自分のお金です」

「違うでしょう。外務省の研修生としてアラビア語を勉強したのでしょう。日本政府のカネで、つまり国民の税金であなたは勉強したんです。僕が言うことがどこか間違っているかな」

「それは確かに佐藤さんの指摘のとおりです」

「それじゃ、今度は少し質問を変えよう。あなたは、シリアを好きですか」

「好きです」

「アラブ人はどうかな」

「アラブ人にも嫌な人もいます。しかし、日本ではアラブ諸国やアラブ人について、あまりに理解が低いです。アラブ諸国に対する偏見を是正する必要があると思います」

「イスラエルは好きかな」

「何を聞くんですか。敵です。大嫌いです」

「どうして」

「パレスチナ人を虐殺し、パレスチナの地を占領し、植民地として支配しているからです。しかも核兵器を保有して、武力でアラブ諸国を脅しあげています。イスラエルの存在が諸悪の根源です」

 この女性外交官は、きわめて真面目なのである。恐らく、学生時代はノンポリの優等生だったのだろう。外交官を志望するのだから、基本的に左翼に対する共感はないはずだ。それが、どうしてこれほど極端な反ユダヤ主義者になってしまうのだろうか? それは彼女が優等生だからである。まず、留学したシリアにおいて、優等生となり、シリア的世界観でイスラエルを見るようになった。そして、実務についた後も、親パレスチナ的なアラブスクールの中の優等生だから、イスラエルをここまで敵視するようになるのだ。

Ⅰ 私とイスラエルについての省察ノート(2)

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