3・11から10年経っても、ほとんどが「机上の空論」
原発再稼働を決める条件にすらなっていない「原発避難計画」の実態。道路崩壊や段差、崖崩れ、津波被害や浸水被害による通行止め、さらには放射性物質の流れる風向きは――。原発のある町を訪ね歩き、実現可能な避難計画のありかたを検証する。

1回 原発が「凶器」と化すとき

再稼働審査の条件に避難計画は入っていない

「まだ失われていない町」と書いて、ふと手をとめる。そんなことを言われたい土地の人間があるだろうか。東京電力福島第一原子力発電所の事故が起きた福島県双葉郡の人々から聞いた、さまざまな会話を思い出す。

 私は『孤塁 双葉郡消防士たちの311』(岩波書店、2020年)を上梓したが、66人の消防士の壮絶な証言を淡々と記すだけで、迫りくる「死」の恐怖や、届かぬ情報への苛立ち、当初の計画にないさまざまな対応など、原子力災害に対応する地域防災計画がほとんどの場合「机上の空論」であったと示すこととなった。

 現場で活動した消防士の一人は、福島第一原発事故の翌年、関西電力おお原発の再稼働が決定したとき、「本当にやるのか? と信じられなかった」と言う。

 住民の避難計画もまた予定どおりにはいかなかった。避難を想定していなかった地域もある。原発事故からの避難は、「被ばくを避ける」ことが目的だが、あの事故では、一刻を争うなか、どんなに前に進みたくても、同じ方向に向かう車の大渋滞に巻き込まれていた人々がいた。

 例えば、原発から北に10キロ圏内の浪江町の住民。国道6号で南に行けば原発に近づき、北に行けば隣町には6号を超えて津波が到来していた。すると西に向かうしかなく、その道は国道114号(北西方向に福島市方面へ進むが、この方角が放射性物質の流れ道となっていた)と国道288号(少し南下するため原発に近づく)になる。町役場からは「津島方面へ(国道114号沿い)」と伝えられ、その道は大渋滞を起こした。その渋滞に巻き込まれていた住民のひとりは「車を降りて歩くほうが早かった」と話している。

 そして、原発事故がいまどうなっているのかはもちろん、なぜ逃げなくてはならないのかすらもよくはわかっていなかった人も多い。携帯電話は不通で(大災害発生時に発生地域でよくある現象である)、屋外防災無線を聞いた人も少なく、多くの人々が、情報を得る術が一つもない状況にいた。

 実際に経験をした人々に話を聞けば聞くほど、「原発避難は不可能だ」という思いが蓄積していく。もし、再び事故が起きたらどうしたらよいのか。地震・津波・水害など自然災害でも避難は非常に困難なことだが、原発事故の避難は、五感で感知できない放射性物質がどこに、どのくらい放出されているのか、という情報を正確に得る必要がある。複合災害であれば、放射性物質を避けると同時に、道路崩壊や段差、崖崩れ、津波被害や浸水被害による通行止めの道を避けなければならない。さらに、放射性物質の流れる方向は風向きによって変化するのだから、より早く、より遠くへ移動する必要があり、避難道路で渋滞も発生してはならない。

 原子力災害のための地域防災計画(原発避難計画)は、「防災基本計画」および、福島原発事故後に制定された「原子力災害対策指針」に基づき、原子力発電所から概ね半径30キロ圏内の自治体で策定されている。それ以外の自治体でも核燃料物質の輸送時の事故を想定した防災計画を策定している自治体もある。

富岡町の帰還困難区域(2021年 撮影:吉田千亜)

 しかし、ここが問題なのだが、原発再稼働の可否を決める要素に、避難計画は含まれていない。原発の安全性だけを審査し、事故時の周辺住民の避難計画がどの程度現実味があるのかについては、再稼働とは関係ないというのだ。これは、万が一の時に失われかねない命よりも、再稼働を優先している証左でもある。コロナ禍であろうが、おかまいなしに住民の安全は保障されないまま、原発を動かす歩みは各地で止まらない。

 現在、ご存じのように北海道から九州まで、原子力施設は各地に存在する。再稼働しているのは9基(稼働中4基・停止中5基)で、設置変更許可が7基、審査中が9基、未申請が8基、廃炉が決定したものが24基ある。(2021118日現在)。政府や電力会社、経団連は、2050年までに二酸化炭素排出をゼロにするという名目で、原発の再稼働だけでなく、新増設にも言及している。もしも原子力発電所が「凶器」と化した場合、命を守り逃げることが可能なのだろうか。本連載では各地の現場を歩き考えてみたい。

日本の原発の現状(20211月現在 地図作成:鳥元真生)

「原子力災害対策指針」自体の問題点

 201210月、内閣府は「原子力災害対策指針」を制定した(20197月までに14回改訂)。前述の通り、それに基づき地域防災計画、避難計画が作られるのだが、この政府が出している指針自体は適正なのか。

 まず、どの程度の規模の原発事故(つまり放射性物質の放出量)を想定した避難計画なのか、ということが重要だ。

 原子力規制委員会は、「緊急時の被ばく線量及び防護措置の効果の試算について(2014528日)」の中で、各地域での防災計画策定時に「リスクに応じた合理的な準備や対応を行うための参考」として試算を示した。それは、「セシウム137100テラベクレル、その他核種がセシウム137と同じ割合で換算された量、さらに希ガス類が全量、環境中に放出されるような仮想的な事故を想定」としている。

 福島原発事故では推定で約1万テラベクレル放出されたので(東京電力2012524日発表「東北地方太平洋沖地震の影響による福島第一原子力発電所の事故に伴う大気および海洋への放射性物質の放出量の推定について」)、この「セシウム137100テラベクレル」という仮想事故は、現実に起きた福島原発事故の100分の1の規模しか想定していないということになる。

 事故当時、福島第一発電所内で対応していた吉田まさ所長が、

「これで2号機はこのまま水が入らないでメルトして、完全に格納容器の圧力をぶち破って燃料が全部出ていってしまう。そうすると、その分の放射能が全部外にまき散らされる最悪の事故ですから。チェルノブイリ級ではなくて、チャイナシンドロームではないですけれども、ああいう状況になってしまう」

 と、314日の危機を振り返った話は有名だ。実際の被害規模ではおさまらなかった可能性を示すこの証言を勘案すると、100分の1規模の事故しか想定しない防災指針は、あまりにも住民の命をないがしろにしている。

事故直後の福島第一原発(2011315日、出典:東京電力ホールディングス)

 さらに、防護措置が必要な区域についても、不十分な点がある。指針制定当初は、原発から5キロ圏内を「PAZ」、5キロから30キロ圏内を「UPZ」、30キロより外であっても防護措置が必要な地域として「PPA」という分類がされていたが、20154月の改訂で「PPA」という概念が消えた。つまり30キロより外側のことは考えないことになったのだ。そのため「PPA」にあたる地域の自治体の中には、改訂に伴い、「PPA」の概念を除外し、書き換えたところもある。しかし、福島原発事故であれば、30キロ圏外で避難指示が出た地域(飯舘村、伊達市、川俣町等)もある。

 また、放射性物質の飛散自体は30キロ圏外どころではなく、例えば、350キロ以上離れた静岡県の茶葉からも基準値を超える放射性セシウムが検出され、出荷制限がかかったことは多くの人の記憶にあるはずだ。30キロ圏内でおさまるという前提は不十分である。

 人の命を守るためには、この指針こそが重要だが、残念ながら指針の見直すべき点はほかにも見受けられる。それらも今後の連載の中で指摘していきたい。

原発と共にある町の暮らし

 東京電力福島第一原子力発電所の事故が起きた双葉郡において、原子力発電所が事故を起こせば住民に牙を剝く「凶器」になることを考えて暮らしていた人はほとんどいなかった。

 そもそも、原発で働く人々は、地域の住民が多かった。原発をPRする「エネルギー館」は子どもを遊ばせる場所として認知されていたし、親子で参加できるイベントなども開催され、原発は安全だという広報が日常的にさりげなく行われていた。

 双葉郡で、「社交ダンスをやっていた」という男性から「社交ダンスは昔、東電の職員が持ってきた文化だという話だよ」という話も聞いたことがある。また別の女性からは、「東電社員は人気があった」と、合コンでの話も聞いた。

 もちろん四六時中「原発の町」を意識して暮らしていた人はいないだろうし、今も自分のふるさとを「原発の町」だけで捉えるわけでもないだろう。しかし、会話の中に「ああ、福島の原発とは、東電とは、かつてこういう存在だったのか」と思うものをたびたび、見つけるようにもなった。

 暮らしを丸ごと奪い、描いていた未来をも奪った原発事故への感情は一人ひとり違う。激しく怒りを持ち続けている人もいるし、時間とともに薄れている人も、時間とともに深くしている人もいる。前を向いて進み出した人もいるだろうし、考えないようにしている人もいるだろうし、ふとした時にその感情を思い起こす人もいるだろう。しかし時に、原発立地自治体の町の人々の「怒り」には、ためらいが混じる。

双葉高校に残されたままの車(撮影:吉田千亜)

 その土地に行き、その土地の人に話を聞かないとわからないことは多い。福島第一原発と同様に、他の原発立地自治体の様子も、原子力災害における避難計画のことも、行かなければわからないことがあるだろう。それこそ、その土地を歩き、その土地を知ってこそ、その避難計画の可能・不可能が具体的に見えるのかもしれない。なかには、地元の問題として、原発が事故を起こしたときのことを考え続けてきた人もいるだろう。実際に、福島の原発周辺にも、そういった人たちはいた。

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