「私たちの中には、変わることを恐れる文化が幅広く共有されている」
ウォール・ストリート・ジャーナル(WSJ)は、21世紀のメディアの中では稀有な存在だ。なぜなら、もうかっているからだ――。しかし、WSJ内部ではさらなる進化のための闘争が起きていた。NYTの記者は、編集局長マット・マレー、「チーフ・ニュース・ストラテジスト」ルイーズ・ストーリー、発行人アルマー・ラトゥールの3者に注目し、歴史ある大メディアの転換期をレポートした。
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ウォール・ストリート・ジャーナル 将来を賭けた「暗闘」

「ルパート・マードックの新聞」が生き残るためには進化が必要だ――。改革を託された上級幹部率いる特別チームはこう提言した。だが、編集トップと経営トップのライバル争いがその進化を妨げている。

 ウォール・ストリート・ジャーナル(WSJ)は、21世紀のメディアの中では稀有な存在だ。なぜなら、もうかっているからだ。しかも相当な黒字額である。だが、人種的な多様性が一段と進む国にあって、同紙の中心となる読者層は依然、中高年の白人男性だ。僅差で続くのが、現役を引退した世代である。

「読者が減っている一番の理由は読者が死んでしまうからさ」。こんなジョークがWSJの編集者の間で交わされている。そうしたなか、このルパート・マードック氏のメディア帝国が2007年から所有する新聞社の内部では今、改革のために特別に編成されたチームと編集部門の300人近いスタッフからなるグループが、大きな変化を起こそうと動いている。

 WSJはマードック氏がしばしばその日一番に目を通す新聞だが、そこで働く多くのスタッフは、WSJがこれからも成功を続けたいのなら、経済界の主流派ビジネスリーダーたちの好む話題ばかり取り上げるのではなく、もっと視野を広げなければならないと訴える。未来のWSJはソーシャル・メディアの動向にもっと注意を払い、例えば医療保険分野における人種間格差の問題を、企業の合併ネタを追いかけるのと同じくらい精力的に追わなければいけないとも主張する。

 だが、そうした訴えは今のところ、同紙の経営層を納得させるまでには至っていない。

Photo/Devin Oktar Yalkin for The New York Times

新たな読者を獲得するためのストラテジストを招く

 WSJはどこよりも早く紙面のデジタル化に踏み切った。電子版の購読を有料化したのはインターネットがダイヤルアップ接続のころの1996年だが、当時、電子版を有料化していた新聞はほとんどなかった。ニューヨーク・タイムズを含めたほとんどの新聞は、情報はタダであるべきだという信念を抱いていたが、それは結局、見当違いのビジネス戦略であり、のちに非常に高くついた。

 1300人近い編集スタッフを抱えるWSJは、国内の何千という新聞が休刊に追い込まれるなか、先見の明を持ったデジタル戦略のお陰で利益を叩き出してきた。しかし、このデジタル戦略の成功は、クレイグスリストやフェイスブックなど新興メディア勢力の攻撃から身を守るワクチンの役割を果たしたのと同時に、同紙がさらに進化するのを妨げる原因ともなった。

 古い読者を遠ざけずに新たな読者をどうやって獲得するかという課題に取り組んだのは、2018年に編集局長に就任した54歳のマット・マレー氏だ。WSJに20年間在籍していたマレー氏の編集局長への就任は、編集部門の多くのスタッフから歓迎された。同氏は就任後間もなく、電子版の読者を増やすための戦略チームを組織し、チームの統括責任者として、ルイーズ・ストーリー氏を外部から招聘した。ストーリー氏はニューヨーク・タイムズに10年ほど在籍したこともあるジャーナリストだ。

 ストーリー氏には大きな権限が与えられ、将来のWSJを率いる候補者の一人としても注目を浴びるようになった。現在、彼女は「チーフ・ニュース・ストラテジスト」および「最高製品・技術責任者」という肩書で、150人のスタッフを率いている。彼女の戦略チームは、新たな読者の獲得を目的とした編集局の業務に関する膨大な量の報告書の作成に、大きな役割を果たした。また、どうすれば記事がグーグル検索でひっかかりやすくなるかとか、ソーシャル・メディアをどう活用すればよいかといった、読者を増やすためのテクニックを編集スタッフにアドバイスするなど、編集部門内で重要な役割を果たしている。

現場の不満がスラックに

 昨夏、戦略チームの報告書が仕上げの段階に入っていたころ、編集部門内部で不穏な動きが起きていることにマレー氏は気付いた。全国規模の人種差別抗議デモが起きるきっかけとなったジョージ・フロイド事件の直後、編集部門が利用しているチャットツール「スラック」の中に、「ニューズルーミーズ」という名前の非公式なチャンネルが密かに立ち上がった。チャンネルの参加者は、なぜWSJは、抗議デモの様子などを伝える日々の報道で他紙に後れを取っているのか(彼らはそう思った)議論した。また、WSJの記事がネット上で存在感が薄いことや、同紙の保守的な論説部門が書く論説記事の内容が、事実関係の裏付けなどにおいて現場の記者に求めている水準より低いことに不満を漏らした。

 7月、マレー氏はストーリー氏のチームから報告書の原案を受け取った。209ページに及ぶ報告書は、WSJがどうやって自らをつくりかえるかを示した設計図であり、「コンテンツ・レビュー」と名付けられた。原案には、「過去5年の間に、読者の純増減がマイナスになった時期が6四半期あった」と書かれていた。そして、読者数の伸び悩みという問題を解決するには、ソーシャル・メディア戦略から、何をニュースとして取り上げるかという価値判断の問題に至るまで、すべてにおいて大胆な改革が必要だと指摘した。

 また、WSJは新たな読者、とりわけ女性や人種的マイノリティー、若い世代のホワイトカラーを獲得する必要があるとし、そのためには気候変動や経済格差などの問題を取り上げるべきだと提言した。「女性やマイノリティーの言動をもっと記事にするよう努力すべきだ」という提案もあった。

 コンテンツ・レビューは、編集部門内では、まだ正式には議論されておらず、提言は実行に移されていない。しかし、この記事のために、退職者を含むWSJの編集スタッフ25人に取材したところ、報告書をめぐる手詰まり感が編集部門内に分裂をもたらすなど、すでに編集業務に影響を及ぼしていることがわかった。彼らによれば、その原因は、マレー氏と、WSJを発行するダウ・ジョーンズの最高経営責任者(CEO)に就任しWSJの発行人となったアルマー・ラトゥール氏との間に起きつつある権力闘争だ。両者の確執は同紙の将来を脅かし、そして2人のせいで、報告書の提言が実行に移せないでいるのだという。

編集人と発行人 正反対の2

 マレー氏と、50歳のラトゥール氏は、ともにマードック氏の理想とする従業員像だが、タイプは両極端だ。マレー氏は如才ない編集者タイプ。対するラトゥール氏は無遠慮な起業家タイプ。2人とも、ほぼ同時期に社内で頭角を現し、2018年にジェラルド・ベーカー氏が編集局長を辞めることになった時は、その有力な後任候補だった。

 関係者によれば、2人は初めから反りが合わなかった。「彼らはお互いを嫌っている」と、2人をよく知るある幹部は証言する。ストーリー氏のチームがまとめた報告書は、そんな両者の関係を悪化させただけだった。またそれは、マードック氏のメディア帝国の稼ぎ頭である事業の将来にも大きなしわ寄せを及ぼした。

 彼らの仕事上のライバル心は、互いの性格や仕事に対する取り組み方の違いが原因とみられている。マレー氏は慎重に物事を進める性格だが、ラトゥール氏はすぐに行動に移すタイプ。しかし、2人をよく知る複数の関係者によれば、反りが合わない本当の原因は謎のままだ。

 ダウ・ジョーンズは取材に対し、編集局長と発行人の間にあつれきは存在しないと文書で回答し、反りが合わないとする見方に反論した。同時に、WSJが「記録的な利益と記録的な購読者数」を達成しているのは、「現行の戦略がもたらす知恵」の結晶によるものだと述べた。マレー氏とラトゥール氏にも取材を申し込んだが、断られた。

 事情に詳しい3人の関係者によれば、報告書がマレー氏に提出された約1カ月後、ストーリー氏の戦略チームは、報告書が一度も陽の目を見ずにお蔵入りするのではないかと心配していた。報告書の原案は、WSJでメディア業界を担当するジェフリー・トラクテンバーグ記者にリークされ、同記者は昨夏の終わりころにリーク情報を元に記事を書いたが、その記事は未だ掲載されていない。

バズフィードに報告書がリークされる

 WSJの読者、そしてWSJのスタッフのほとんどが最初に報告書の内容を目にしたのは、オンラインメディアのバズフィードニュースが10月に掲載した記事だった。バズフィードにはコンテンツ・レビューの要約版のようなものがリークされていた。記事にはコンテンツ・レビューへのリンクも張られていたが、リンクの先にあったのは、横向きにスキャンされた報告書だった。このため、報告書の内容を知りたいWSJのスタッフは、顔を90度傾けなければならなかった。

 リークはマレー氏の怒りを買ったと関係者は証言する。しかし、マレー氏は、部下の責任追及をするのではなく、部下との和解の道を選んだ。ニューヨーク・タイムズが入手したWSJの社内会議の録音には、「私は、編集部門の様々な人たちからなる戦略チームが成し遂げた仕事を誇りに思う」と感謝の意を表すマレー氏の声が残されていた。ただし、報告書の提案の「いくつかには同意しない」とも述べ、提案は議論が必要だとも付け加えた。

 議論の結果、提案の中身が修正されたり戦略が練り直されたりしたかどうかは、現時点では、スタッフは知らされていない。

Photo/Sasha Maslov for The New York Times 2

「私たちの中には、変わることを恐れる文化が幅広く共有されている」

 メディアの組織の幹部らが従業員からの批判にさらされているのは、WSJばかりではない。ニューヨーク・タイムズやロサンゼルス・タイムズ、またヴォーグやザ・ニューヨーカーなどを発行するコンデナスト社の編集長らも、人種問題の報道の仕方や報道機関自身が抱く偏見の問題、あるいは問題のある社説などに関し、スタッフから厳しく問い詰められている。

 しかし、現在進行中のWSJの問題が普通でないのは、組織内の不満が外部に漏れていることだ。内部の不満が表ざたになることはニューヨーク・タイムズではよくあることだが、WSJでは、編集部門内部の不満が表に出てくることはこれまでほとんどなかった。(ニューヨーク・タイムズはWSJから多くのスタッフを引き抜いてきたが、この記事のために取材したWSJの関係者の中には、現在、ニューヨーク・タイムズで働いている人は一人もいない。)

 コンテンツ・レビューは問題を率直に指摘した。例えば、こう書いてある。「私たちの中には、変わることを恐れる文化が幅広く共有されている。そして、変わらない、成長しないことによって失う価値よりも、変わることによって一部の読者が離れてしまうのではないかという心配のほうに目が向いてしまっている」と。

 メディアという組織を変えることは容易ではない。マードック氏が2007年にWSJを買収したとき、編集局は、同氏がWSJの文化を破壊するのではないかと気をもんでいた。実際には、そんなことは起きなかった。マードック氏はニューヨーク・タイムズへの対抗姿勢を強め、紙面で扱う分野を広げた。だが、時間がたつにつれ、WSJは元に戻っていった。今や同紙は、同じ個体内に異なる遺伝情報を持つ細胞が混在する生物「キメラ」だ。半分は攻めのマードック、もう半分は古いWSJから成り立っている。

 WSJを発行するダウ・ジョーンズの親会社ニューズ・コーポレーションは、購読者数を現在の2倍に増やすよう同紙にはっぱをかけている。しかし、戦略チームの報告書は、その目標を達成するためには、20246月までに、「電子版の1カ月あたりの正味の訪問者数を1億人に増やし、その水準を維持しなければならない」と述べている。報告書によれば、電子版の正味の訪問者数が月5千万人を超えたことは一度もない。

 ダウ・ジョーンズは公式声明で、電子版の平均訪問者数は月5500万人で、過去最高は昨年3月に記録した7900万人だと反論した。(WSJは、1年以上前に米国を新型コロナウイルスが襲った際、新型コロナ関連の記事を一時、無料で読めるようにした。)

 決算報告書を見ると、2020年末時点でのWSJの電子版のみの購読者数は246万人で、そのうち106千人は最後の四半期に契約した読者だ。

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