「豊田章男は、〝突然変異〟ですよ」
トヨタ社長、豊田章男の内面に迫る、初めての本

第Ⅰ部 人間

 豊田章男は、どんな幼少期を過ごしたのか。

 また、どのような会社員生活を送ったのか。いかに自分を鍛え、部長、役員、社長への階段を上っていったのか。

 彼には、発明王の曾祖父・豊田佐吉や、トヨタ自動車創業者の祖父・豊田喜一郎から受け継いだ、豊田家のDNAが息づいている。しかし、章男は、意外にもその出自に悩み、理解者のいない孤独のなかでもがき続けた。そのことが、彼の人格形成に多大に影響しているのは間違いない。

 断るまでもなく、人間は誰しも孤独である。章男もまた孤独だ。だが、決して孤独を望んではいない。

 章男は、相手より先に自ら心を開く。他人は、信じなければ信じてくれない。自らが心を開かなければ、相手も心を開いてはくれない。幼少期から人付き合いに苦労が多かった彼は、そのことを悟っているのだろう。心の奥底では、人間の汚い部分より、善良な部分を信じているのではないだろうか。

 彼の本質は、〝やんちゃ〟で〝かん気〟が強いことである。かといって、強気一辺倒ではない。一言ではいい表せない複雑な人物だ。

1章 原質──いかに育ったのか

タクシードライバーを夢見た少年

 豊田章男が名古屋市に生まれたのは、「経済白書」に「もはや『戦後』ではない」と記された1956(昭和31)年である。

 この年、トヨタの乗用車の国内販売台数は11938台。トラック・バスは31613台に過ぎなかった。モータリゼーションの夜明け前である。

 章男は、〝かん気〟が強く、腕白でやんちゃな子供だった。活発で、よく動き回った。利かん気、やんちゃこそは、今に至るまで章男という人間の根底にある本性であり心根である。

 隣の邸宅の庭に、勝手に入り込んで自転車を乗り回した。いたずらを繰り返しては、名古屋市南山の自宅の地下にあった部屋の押し入れに閉じ込められた。多忙な父親に代わって、母親に厳しくしつけられて育った。

 男の子のご多分に漏れず、自動車が大好きだった。章男の周囲には、生まれた時から、当然のようにクルマがあった。それも、外車を含めてさまざまなクルマがあった。

 「父にドライブに連れていってもらうことが大好きな子供でした」と、彼は語っている。

 章男は、父親の章一郎が運転するクルマの助手席に乗り、開通したばかりの名神高速道路を走った記憶を持つ。おそらく当時の彼は、小学校入学前後だろう。

 当時の章男の将来の夢は、タクシードライバー。父親の会社について明確な認識はなく、「毎日いろんなクルマに乗って帰ってくるなぁ」と思う程度だった。

 この頃、名古屋とトヨタの工場があった挙母ころも市(現豊田市)間を毎日往復するクルマは、3台しかなかった。うち1台が、章一郎のクルマだった。庭先に洗車したてのピカピカのクルマを発見すると、章男は触ってみずにはいられなかった。

 「こらッ、坊主!」

 いたずら心から泥を塗り、専属の運転手に怒られた。

 でも、運転手は、章男を可愛がった。彼がタクシードライバーを夢見たのは、この運転手の影響があったのかもしれない。

 国民的大衆車となる「カローラ」が発売されたのは、1966年、章男が10歳の時である。

 その頃から、トヨタはモータリゼーションの追い風を受け、販売台数を飛躍的に伸ばし始めた。同年のそれは、乗用車245517台とトラック・バス237474台に上った。日本の自動車産業が勢いよく伸び、夢にあふれた時代のなかで、章男は育っていく。

御曹司の宿命

 意外に思われるかもしれないが、大好きなクルマに囲まれ、経済的にも恵まれた環境とは裏腹に、感受性の強い章男は、つねに「豊田家の息子」のレッテルを貼られ、生きづらさを抱えていた。幼少期からイジメに遭い、自尊心が傷つけられた。御曹司の宿命を背負っていたのである。

 「小さい頃は、名前が負担でした。小中学生の頃は、〝どうせ社長の息子〟〝豊田の名前があるからできる〟といわれ続け、自分自身を見てほしいと思っていました」

 と、彼は語っている。

 愛知教育大学附属名古屋小学校、同中学校を卒業した後、東京に移り、日吉にある慶應義塾高等学校に進学する。なじんだ土地や知人から離れ、知らない土地で、友人は誰もいない高校生活がスタートした。慶應高校は、幼稚舎から上がってきた生徒たちが幅をきかせる。名古屋から上京したばかりの田舎者である彼は、おそらく孤独だっただろう。この時も、「自分は周囲のみんなとは違う」こと、すなわち、豊田家の御曹司であることを、いやがうえにも意識させられた。

 豊田家とは何なのか。自分は何者なのか。簡単には答えの出ない問いが、おりのように心の奥底に溜まり、長く彼を苦しめた。創業家の御曹司として生まれたゆえの、孤独な心の葛藤、アイデンティティー・クライシスの始まりである。

 1975年に慶應大学法学部に進学。在学中はホッケー部に所属する。実力で評価されるスポーツの世界で、豊田家とは離れた、「個」としての力で勝負し、評価されたいという切実な思いがあったに違いない。

 部内では、他の部員と同じく、荷物運びやお茶くみをし、先輩にアゴで使われる一方、フィールドでは俊足で鳴らし、日本代表に選出されてアジア大会に出場するなど、部活動に邁進した。日本がボイコットした1980年のモスクワオリンピックのホッケーチームの候補選手だった。まさに根っからの体育会系である。彼の実行力、突破力は、ホッケー部時代の経験と無縁ではない。

 章男は、いわば、世間でいうところの「知的体育会系」である。「何事も、考える前に、まずやってみる」というのが、体育会系の行動パターンの特徴であるが、章男の信条も、それだといっていい。

 章男を知る人々は、超お坊ちゃんの割には案外、俗にまみれていて、下世話なことも知っているというが、これらの側面は多分に、部活動に励んだからに違いない。

3度会社を辞めようと思った

 章男は、18歳になるとすぐに運転免許を取得した。仮免許試験の実技で脱輪し、一度は失敗した。免許取得直後、運転中に自宅の前でクルマごとひっくり返った。それを聞いて驚いた章一郎が病院へ駆けつけたところ、もういないといわれた。一瞬、死んだのかと思ったら、家に帰っていたという。

 初めてのクルマは、トヨタ「コロナ」で、「学生の時におばあちゃんが買ってくれた。超お坊ちゃんだったからね」と、語っている。おばあちゃんとは、すなわち、章男が心酔する祖父・喜一郎の妻である。もっとも、本当は「セリカ」が欲しかったが、言い出せなかった。こういうところは、つねに周囲に気を遣う彼らしい。

 社会人になってから、自分のおカネで中古の「カローラ1600GT」を手に入れた。「羊の皮をかぶった狼」といわれたFR(後輪駆動)車で、「忘れられない青春時代の思い出が詰まったクルマ」と振り返っている。

 卒業後は、米バブソン大学経営大学院に留学する。投資顧問会社のスパークス・グループ創業者、阿部修平とは、留学当時からの付き合いで、気心の知れた仲だ。MBA(経営学修士)取得後は、米国に残り、投資銀行エー・ジー・ベッカーコーに2年間勤務。その後、1984年に帰国し、トヨタに入社した。27歳だった。

 章男は、章一郎から「トヨタに入社しろ」「社長になれ」といわれたことは1度もない。試験を受けてトヨタに採用された。いってみれば〝転職〟したのである。

 章一郎からは、「トヨタには、おまえのような者を部下に持ちたい者はおらんだろうな」といわれた。そのとおりであった。

 入社してみると、周囲の反応は普通ではなかった。年上の上司でありながら彼に対して敬語を使う者や、おべっかを使う同僚がいた。御曹司として色眼鏡で見られたり、ドラ息子などと蔑視された。お客様扱いを受けた。

 彼は、周囲からすれば「仲良くして媚びていると思われたくない人」であり、「気安く話しかけてはいけない人」だった。孤立した存在だった。「俺は、会社にいないほうがいいのか……」と真剣に悩んだ。「おまえのような者を部下に持ちたい者はおらん」という、父親の言葉が実感として迫った。

 章男は、20199月、トヨタのオウンドメディア「トヨタイムズ」でスズキ会長の鈴木修と対談した。その際、婿養子として鈴木家に入った鈴木は、入社当初を振り返り、「招かれざる客で、生意気だから追い出せという扱いをされた」と昔話をした。すると、章男もまた、似たような境遇にあったとして、「私も大事にされたことは一度もない」と話した。

 2人はそれぞれ、後継者候補としての苦労を重ねた。章男にとって鈴木は、同じ苦しみを味わった数少ない理解者だ。

 米アップル創業者のスティーブ・ジョブズは、会長時代に社長らから業務を外され、やむなく辞表を提出した。テスラCEO(最高経営責任者)のイーロン・マスクは、南アフリカで生まれ、幼少期にイジメを経験した。ソフトバンクグループ創業者の孫正義もまた、壮絶なイジメに遭った。イジメを克服した経営者は、章男に限らない。

 鬱屈した会社生活のなかで、章男は3度にわたって、本気で会社を辞めようと考えたといわれる。むろん、辞めたいと思っても、御曹司は簡単に辞められるものではない。だからこそ、余計に苦しかったに違いない。

 サラリーマン時代に、章男が足繁く通った場所がある。長野県木曽郡王滝村にある新滝だ。御嶽山の3合目付近に位置し、古くから行者が滝行を行ったことで知られる。

 章男は、30メートルの高さから落ちる滝の水に打たれるために、そこへ通った。

 「いったいなぜ、自分は豊田の姓を持って生まれてきたのか」

 「自分はいったい、何者なのか」

 苦悩し、おうのうし続け、それを浄化するすべを模索した。

 滝行から戻ると、部下だった現副社長の友山茂樹に、こんな話をしている。

 「滝に入るときには、逆らおうとしてもダメだし、怖いと思うと入っていけない。うなだれればむち打ちになる。真正面から飛び込んで、滝と融合しないとダメなんだ」

 あらがうことのできない自分の運命や、激しい時代の流れに、逆らうでも流されるでもなく、自らの意思や存在をきっちりと見出したい……。滝行に励む章男には、そんな思いがあった。滝行は、およそ10年間続いた。

 後に詳しく触れるが、実は、彼がある出来事をきっかけに、その懊悩から解放されるのは社長になって以降である。

 苦しみ抜いてもひねくれず、真っすぐ歩み続けたのは、育ちのよさに加えて「負けてたまるか」という気の強さ、利かん気に行き着く。章男は、社内でつねにぶつかり合い、戦いを続けた。「おまえじゃできないだろう」と言われてきたがゆえに、悔しさをテコにあらゆる困難を乗り越えた。

 彼は、こうと決めたら他人がどう言おうと、突き進む。「本性」である。軸がぶれないのは、そのせいだ。

「叱られたことはあるか」「ありません」

 サラリーマンのセオリーでは入社後、昇進するごとにふさわしい仕事が与えられる。加えて、トヨタでは、技術者の場合、エンジン屋、車体屋など「機能」に配属されると部長になるまで、うまくいくと役員になるまで、その機能を出ることはない。いわば、所属した機能が本籍地となり、ずっと面倒を見てくれる。

 ところが、章男はその2つとも違う道を行った。御曹司の章男を鍛えるためか、さまざまな部署に配属された。

 章男が入社直後、配属されたのは、元町工場工務部日程課だった。本来の配属は経理部だったが、「せっかくトヨタに入ったのだから、工場勤務から始めさせてほしい」と、章一郎に頼み込んだ結果である。「わがままは3年だぞ」と言われて許された。

 工場では、工長が章男の世話を焼いた。工場で働く仲間たちは、廃品の自転車の山から、壊れていない部品を集めて、章男のために自転車をつくってくれた。彼は、その自転車に乗って構内を動き回った。

 章男の上司は、TPS(トヨタ生産方式)に精通した林南八だった。林は章男を預かる際、上司からまず「工場をご案内しろ」と言われた。

 「新入社員のくせに、何がご案内だ!」

 と、憤った林は、章男に尋ねた。

 「君、目いっぱい叱られたことはあるか」

 「ありません」

 「それは不幸なことだ。幸せにしてやるから覚悟しとけ!」

 林は、怒ると平気で灰皿を投げるような激しい人柄で、遠慮なく章男を叱り飛ばして教育した。

 ある時、章男が担当する生産ラインの部品が足りなくなった。このままでは、それこそラインがストップする。彼は夜8時ごろ、林の元に相談に行った。

 「どうしたらいいでしょうか」

 「こんな時こそ、何とかするのが工務部だろう! 自分で何とかしろ!」

 章男は、突き放された。

 考えた末、彼は、信じられない行動に出た。1人で部品メーカーの工場に出向いたのだ。別の部下からそれを聞いた林は、血の気が引いた。

 「何で行かせた! 社長の息子に何かあったらどうする!」

 と、部下を怒鳴った。

 工場は真っ暗で誰もいない。いたのは守衛だけ。章男は、守衛に事情を話したうえで、倉庫に案内してもらった。必要な部品を探し出し、カンバン(伝票)を置かず、名刺を1枚置いて持ち帰った。

 待っていたのは、林の怒声だった。

 「おまえ! 何やっとったんだ、バカヤロウ!」

 叱りつけたものの、「度胸の据わった男だな」と、林は内心、舌を巻いた。

 その後、章男は財務部に配属された。財務部時代の上司は、現トヨタ副社長でCFO(最高財務責任者)の小林耕士だ。章男と副社長の6人を含む現在の経営チームの一員で、トヨタの大番頭だ。

 小林も、厳しく章男を鍛えた。章男はすぐに社長になるわけではない。しかし、「その自覚を持っていない限りは、未来のトヨタ社長は務まらないぞ」と、小林は叱咤激励した。

 1990年、章男は、生産調査部に異動する。TPSを確立した大野耐一が、TPSの現場への浸透を目指して創設したセクションで、厳しいことで有名だった。再び、林が上司になった。章男は、生産調査部時代について、こう回想している。

 「いろんな方から薫陶を受けましたが、いちばん学ばせていただいたのは、現地現物の大切さです。見てもいないのにいいかげんなことを言うな。必ず、現地現物で見て、確認してこいと言われ続けました」

 章男の周囲には、彼を本気で育てようとする上司はいなかった。彼は、どうしたか。自ら現場で師匠を見つけては、食らいついていき、仕事を覚えていった。それが、工務部や生産調査部では林であり、財務部では小林だった。

第1章 原質──いかに育ったのか(2)

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