日本は「教育立国」という幻想
「すべての女性が輝く社会」は、日本政府が掲げる重要課題の一つ。その実現には、女子教育の充実が欠かせない。だが、各種データを用いて他の先進国と比べると、日本のそれは最低水準にあるという。いったい何が問題なのか? 教育の男女格差を解消するには何が必要なのか? エビデンスと理論を用いて処方箋を示す。

1回 日本は教育立国だ、という幻想

0. はじめに

 バブル崩壊、失われた20年、失われた30年――。私が物心ついてからの日本は、ずっと暗い影に覆われ、その間に近隣諸国に追いつかれ、追い越され、国内総生産も2010年に中国に追い越されたと思ったら、2014年には中国の半分、現在では約3分の1となっています。私が2003年に東京大学に入学した頃には、世界大学ランキングを見れば堂々たるアジアNo.1の大学でしたが、今ではお世辞にもNo.1とは言えないところまで来てしまいました。

 日本がここまで凋落した原因の一つは、教育立国という幻想に囚われ、教育など人的資本への投資をないがしろにしてきたからです。日本のGDP比の教育予算額は、先進国の中で長らく最低レベルにとどまっていますが、少子高齢化だけがその理由ではありません。国際学力調査の結果が発表されるたびに日本の学力は世界トップレベルであるものの、学校のICT(情報通信技術)化は先進国の中で最下位レベルです。高校の卒業率は先進国の中でもトップレベルですが、大学院進学率は下位に沈んでいます。

 一言でまとめると、世界でトップに立つために30年前には重要だった発想からいまだに抜け出せず、現在の世界で勝負するために必要なものへの教育投資が十分になされていないのです。そして、その代表例が、女子教育の遅れです。世界の先進国は約50年前から女子教育を充実させてきましたが、日本ではそのペースは遅く、現在では日本の女性の教育水準は先進国で最低です。

 これをマクロ的に見れば、国民の半数を占める女性の教育水準が先進国の中で最低水準にとどまり、社会が30年にもわたって低迷している、ということになります。ミクロ的に見れば、教育水準が低い女性を中心に、少なくない女性が人的資本の低さが足枷となり、様々なかたちの苦境から抜け出せなくなっています。しかも、そのことが男性に重い負担となってのしかかり、高い自殺率と、低い幸福度を招いていると考えられます。

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 女子教育の問題というと、女のお子さんをもつ保護者、あるいは教育関係者だけの問題と思われるかもしれません。しかし私は、高校や大学で進路選択に直面している女子生徒・学生も含めて、広く老若男女にこの連載を読んでもらいたいと願っています。なぜなら、日本の女子教育の問題と日本のジェンダー問題は、ニワトリと卵の関係にあるからです。社会に出ても男性のようには学んだことを活かせないなら、学びを頑張ろうと思えるはずがありませんし、男性と比べて顕著に教育水準が低いのにジェンダー問題を解決できるわけもありません。このニワトリと卵の問題は、この社会を構成する一人ひとりの問題なのです。

 世界銀行でジェンダーの制度・政策の評価を、ユニセフで女子教育の仕事をするなかでこの問題に取り組むようになった私の経験から言えば、女子教育の問題に取り組むことは(男子教育問題への取り組みと同様に)、きわめて重要です。貧困と教育の問題、障害と教育の問題と同じく、社会的に不利な立場にある子ども・人びと、そして日本の女性に対しても、効率的で公平でインクルーシブな教育(障害や言語、そして女性であることや男性であることなどから生じるニーズに対して、合理的な配慮が提供されることで、全ての子供たちが共生しながら学べる教育のこと)を実現することで、貧困のない自由な社会の実現を目指すべきだと私は考えています。

 そこで本連載では、日本の女子教育の問題について、各種データをOECD加盟国と比較することで明確にしながら、私がこれまで国際教育協力の仕事で実際に用いてきた理論やエビデンスに基づく処方箋を示していきたいと思います。

 まず初回は、女子教育の問題について、エビデンスと理論に基づいた処方箋を示す前に、日本の女子教育の問題がどれほど深刻であるのか、データを用いて明らかにしていきたいと思います。

1. 日本の女性はどれだけ高等教育へアクセスできているのか?

 大学や大学院など高等教育に進学するための機会の拡大は、男性、女性を問わず、双方にとって重要ですが、他の先進国と比べると、日本には大きな違いがあります。

 ユネスコが作成している国際標準教育分類(International Standard Classification of Education : ISCED)に基づくと、高等教育は、日本で言う短大に相当するもの(ISCED5)、大学に相当するもの(ISCED6)、修士に当たるもの(ISCED7)、博士に当たるもの(ISCED8)の4つに分けられます。それぞれについて、順を追って日本の状況を見ていきましょう。

女子の短大進学比率は世界2

 まず、短大相当の教育段階です。この教育段階を解釈する際には注意が必要です。なぜなら、その意味合いが国によって異なるからです。とくに日本とアメリカでは、短大が持つ意味合いは大きく異なります。日本の場合、ほとんどの学生がフルタイムの学生として短大に通い、卒業後に4年制の大学に進学することは極めてまれです。

 しかし、アメリカの場合、過半数の学生はパートタイムの学生としてコミュニティカレッジで学び、年齢も平均すると20代後半で、3分の1程度は退学していきます。他方で、日本の短大卒業者の倍程度の割合で大学に進学し、学位を得ています。つまり、日本では短大はストレートに進学するところであり、最終到達点であるのに対し、アメリカでは短大は社会人の学び直し・大学への橋渡しという色合いがより濃いのです。このように、国によって短大相当の高等教育が持つ意味合いが大きく異なる点には注意が必要です。

 このような事情を反映して、短大相当の教育機関における男女比は国によって大きく異なります。こうしたなかで、日本はスイスに次いで女子学生の比率が高い国となっています。後に出てくるデータと合わせて考えると、これは、あまり好ましい傾向ではありません。短大相当の教育機関が4年制大学への足掛かりとなっているアメリカと違って、日本の短大の場合、そこで学びを終えてしまう学生が90%を超えています。裏を返せばそれは、大学・大学院で学び、高度なスキルや知識を身に付ける女子学生が少なくなることにつながっているのです。

 次に、大学相当の教育機関における女子学生と男子学生の比率を見てみましょう。じつは先進国の中で、男子学生のほうが女子学生よりも多い国は既に少数派になっています。半数近くの国で、女子学生の数は男子学生よりも30%ほど多くなっているのです。しかし、大学生の男女比は11で均衡しているのが理想であり、大学で専攻している分野や、現在の労働市場におけるジェンダー格差を考えれば、女子学生のほうが多いぐらいでちょうどいいと私自身は考えています。もちろん、女子学生が極端に多過ぎるのは考えものです。例えば、中南米では、男子は稼いでこそ、そして家族を築いてこそ一人前だという、マスキュリニティ(男らしさ)のジェンダー規範が根強く残っています。それが、男子学生の退学を誘発するのです。アメリカでもこのジェンダー規範に引っ張られた男子の落ちこぼれ問題がかなり深刻となっており、短大でも大学でも女子学生が20%以上多いという状況となっています。

 日本の大学はというと、女子学生のほうが男子学生よりも少ない状況で、OECD諸国の中でこうした国は6カ国しかありません。短大のデータと合わせて考えると、短大が女子学生を引き付けてしまう一方で、男子学生はそうはならず大学に進学し、その結果として、女性の相対的な教育水準が先進国の中で最低となっているのです。

修士課程進学の女性比率もダントツに低い

 次に、大学院への進学状況を見ていきます。日本では教育格差というと、高卒と大卒の賃金格差が主に注目を集めています。アメリカでも高卒と大卒の賃金格差は大きく開いています。

 しかし、大卒者の高卒者に対する賃金プレミアムの上昇は、1990年代には緩やかになっています。賃金プレミアムとは、この場合で言うと、大卒者であることで、高卒者が得る賃金よりも多く得ることができた賃金の上乗せ分を指します。それで言うと、修士号を取得した人の、大卒者に対する賃金プレミアムは、21世紀に入っても上がり続けました。ここで重要なのは、大学院を卒業した高いスキルを持つ人材の獲得競争が、アメリカを中心に世界的に起こっているということです。これを踏まえた上で、日本の状況を見てみましょう。

 図13は、修士課程相当の教育機関における女子学生の比率を表しています。この図を読み解く前に、そもそもの学生数について触れておく必要があります。この図を作成するために用いたデータを見ると、日本は他の先進国と比べて、大学院の学生数が少ないという特徴があります。

 日本、ドイツ、フランス、アメリカの修士課程在籍者数を見ると、それぞれ約35万人、105万人、99万人、265万人となっています。人口ピラミッドの構成は各国で異なっているので大雑把な比較にしかなりませんが、人口比で見たとき、日本の修士課程の学生数はドイツ、フランスの5分の1程度、アメリカの3分の1にとどまっています。ただし日本の場合、従業員に対して企業が、修士課程相当のトレーニングを実施している可能性もあります。ですが、企業で修士課程相当のトレーニングを受けている人数が、日本の大学院の修士課程に在学している学生数と同規模であったとしても、他の先進国よりも修士号相当の知識やスキルを持つ労働者の数はまだまだ少ないのです。ですから、日本は教育立国だというのは幻想であり、先進国の中では教育水準の低い国であるというのが実情なのです。

 図13を見ると、ほぼすべての先進国で、大学以上に女子学生の比率が高くなっているのが分かります。修士課程において女子学生が男子学生よりも少ないのは、データが存在する先進国の中ではわずか2カ国しかありません。半数以上の国で、女子学生は男子学生よりも30%以上も多いのです。これは男性の相対的な教育水準の低さが懸念される水準です。大学における女子学生の比率で言うと、日本を下回って最下位だった韓国も、修士課程では女子学生が男子学生よりも13%ほど多く、望ましい水準にあると考えられます。

 それに対して日本の場合、女子学生は男子学生の3分の2以下です。先進国の中で、女子学生が男子学生よりも少ないのは、日本以外ではトルコだけです。トルコの場合、イスラム教の国ですし、所得水準でいえば中所得国です。そのトルコよりも日本は、女子学生の比率が低い。先進国の中でダントツの最下位なのです。いかに日本が先進国の中で異様な状況にあるかが、はっきりと分かるのではないでしょうか。

 しかも、先ほど述べたように、修士課程で学ぶ学生数は、先進国の中で日本は極めて少ない国なのです。その中で、さらに男女間の格差が大きいわけですから、日本の女性の教育水準は、ただ相対的に低いだけでなく、先進国の中で見ると、絶対的にも低いということが分かります。

大学の先生の女性比率を引き上げられない

 次に博士課程について見てみましょう。博士課程を修了することによっても、平均賃金が押し上げられる効果は得られるかもしれませんが、それが博士課程の長い期間に見合うものかどうか、修士課程と比べてみると限定的です。このため、博士課程に女子学生が少ないことが男女間の所得格差に与える影響も限定的なものとなりますが、別の意味で深刻な問題を引き起こします。基本的に大学の先生は、博士号を取得した人しかなれませんので、博士課程に女子学生が少ないということは、大学の先生の女性比率を引き上げられない、ということにつながってくるのです。

 博士課程の場合、大学や修士と違って、女子学生と男子学生の比率は、より均衡に近い国が多く、データのある先進国の3分の2以上の国が、均衡からプラマイ20%以内に入っています。こうした中にあって、次の5カ国では女子学生は、男子学生の4分の3以下しかいません。その5カ国とは、トルコ、チリ、韓国、コロンビア、そして日本です。中でも日本はダントツの最下位で、博士課程における女子学生は、男子学生の半分しかいません。2018年の段階でこのような状況なのです。しかも昨今では、大学の先生になるにはポスドクなどを経験するケースが増えてきています。したがって、少なくとも向こう10年ぐらいは、大学の女性教員を大幅に増やすことは困難でしょうし、高等教育における女子教育の改善を加速させようとしても、そう簡単にはいきません。このように日本は、他の先進国と比べて極めて厳しい現状にあり、将来的にも明るい見通しが持てないわけです。

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