私が「貧困」という言葉を使い始めたのは、二〇〇六年だった。
最初に使うときは、とても勇気がいった。一番気になったのは、当時毎日接していた当事者の人たちが嫌がるだろうということだった。「貧困」と言われたい人など、誰もいない。
それでも踏み切ったのは、そうとしか言いようのない現実が広がっていると感じていたのと、あまりにも「いないこと」にされていたからだった。
「いないこと」にされるほど、つらいことはない。その思いで、踏み切った。
「ない」とされていたものを突然「ある」と言い出したのだから、当然と言えば当然だが、それからしばらくは「あるのか、ないのか」論争に巻き込まれた。
「貧困などない。単に怠…
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