「容疑は何でもいい」 司法とメディア、癒着の実態
国家もマスコミも内側から壊れていく。癒着と腐敗をえぐり出した衝撃的ノンフィクション

第一章 もみ消されたスキャンダル

 東京・しおどめの一角にそびえ立つ共同通信本社ビル。「汐留メディアタワー」とも称される、この真新しい高層ビルを私が初めて目にしたのは二〇〇六年の秋だった。

 私は三〇年余り前、ほんのちょっとした偶然から共同通信に記者として入社した。そこで社会部の記者として育てられ、取材をし、原稿を書いて二〇年を過ごした。

 そして私はまた、ほんのちょっとしたきっかけで共同通信を辞め、それから一〇年余りがたった。その間に共同通信の本社はとらもんの米国大使館前から現在地に移転した。

 私はいまかつての同僚たちが立ち働く高層ビルを眺めている。もちろん彼らの姿は目には見えないけれど、私には彼らの動作の一つ一つや、彼らの息づかいが手に取るように分かる。なぜなら、あのビルの中にいるのはかつての自分であり、ちょっとしたきっかけさえなければ今もそうだったにちがいない自分でもあるからだ。

 この高層ビルの一三階にある会議室に共同通信社会部の記者たちが集まったのは〇六年一〇月二日のことだった。

 社会部の定例部会という名目だったが、午後七時半という出稿が集中する時刻のためか、この会合に出席したのは百人近くいる部員のうち三〇人ほどだった。冒頭、社会部長のまきかずひろが簡単な事務連絡を行った後で本題を切り出した。

「社会部で取り組んできた記事について、いったん見送りの結論を出したので報告しておく」

 六日前に首相に就任したばかりのしんぞうにからむ記事の出稿を当面見送るとの通告だった。続いて担当デスクのぐちおさむが取材の経緯と記事の内容を悔しさをにじませながら説明した。すると、部員たちから怒りの声が巻き起こり、会議は二時間近く紛糾した。

「権力監視は報道機関にとって絶対譲ってはいけない部分だ。この程度で腰が引けたら、でかいネタで勝負できるのか。すぐに出稿すべきだ」

「こんな部会を開くこと自体が情けない。部長の判断がまったく理解できない。怒りがわき上がってくる」

 部員たちが次々と部長を批判する異常事態はなぜ起きたのか。その経緯を共同通信の記者が語る。

「社会部が準備した安倍首相に関わる記事の出稿に上から突然ストップがかかったんです。社会部デスクの出口さんを中心とした取材チーム三人が八月中旬から取材に動き、首相の地元・しものせき(山口県)にまで入って調べ上げたネタだった。すでに記事も完成して出稿を待つばかりだったのに……」

 あらためて記せば、共同通信は全国の地方紙やNHK、民放をはじめほとんどの国内メディアに記事配信を行う日本最大の通信社である。国内外に支社・支局など多数の取材網を張り巡らせ、加盟紙の総発行部数だけでも約二千万部に達する。全国紙やテレビ局をりようする影響力を持つメディアといってもいいだろう。

 そんな共同通信で不透明な「出稿見送り」があったとすれば看過できる問題ではない。まして、それが就任間もない首相に関わる記事だったならなおさらだろう。

 前出とは別の共同通信記者が語る。

「出稿にストップがかかったのは一九九九年、山口県下関市の安倍邸や地元事務所に火炎瓶が投げられた事件をめぐる記事だった。関係者の新たな証言を得て、安倍の地元事務所と暴力団関係者の関わりを浮き彫りにし、事件の全体像を描き出す内容だった」

「美しい国」を掲げて安倍政権が華々しく登場した直後、共同通信社会部が準備していた記事が配信直前に差し止められたというのである。記事の中身は、記者たちが一月以上かけて突き止めた安倍晋三首相周辺のスキャンダルだった。差し止めの背後には、平壌ピヨンヤン支局の開設問題に絡んで、首相の顔色をうかがう共同通信上層部の姿勢が見え隠れする。

 首相の資質を国民に問うはずだった一本の記事が闇に葬られた経緯。それを詳しくたどっていくと、権力にすり寄るメディアの実像が浮かび上がってくる。

冒頭陳述

 ここに登場する火炎瓶事件については若干の説明が必要だろう。

 事件は〇〇年六月から八月にかけて起きた。下関市中心部にある安倍の後援会事務所や自宅などに計五回にわたって火炎瓶が投げ込まれ、安倍の自宅では数台の乗用車が全半焼する被害も発生した。負傷者こそ出なかったが、近隣の結婚式場にも誤って火炎瓶が投げ込まれており、一歩間違えば惨事につながりかねない犯行だった。

 事件が衆院選前後に起きたこともあって「安倍の対北朝鮮強硬姿勢に反発したテロではないか」といったさまざまな憶測が流れたが、〇三年六月になって福岡県警と山口県警が下関の「ブローカー」小山佐市と、北九州市の指定暴力団・工藤会系高野組の組長ら六人を非現住建造物等放火未遂容疑などで逮捕した。

 両県警の調べによると、事件の主犯格である小山は、安倍事務所や地元有力企業などに幅広い人脈を持ち、市内の再開発事業にからむ土地買い占めなどに暗躍していた。小山は一九九九年四月に行われた下関市長選で安倍直系の現市長・じまきよしの陣営に〝選挙協力〟をしたにもかかわらず、安倍サイドから約束の報酬を得られなかったとして反発し、高野組に依頼して火炎瓶を投げさせたのだという。

 どうやらこの事件は安倍サイドが一方的な被害者というわけではなく、下関市長選で安倍事務所側が小山というブローカーを利用したのが発端だったようだ。こうした構図の一端は検察の調べでも明らかになっている。〇四年六月、福岡地裁くら支部で開かれた小山らの初公判の冒頭陳述で、検察は事件に至る経緯をこう指摘した。

《被告人小山は、かねて安倍晋三の地元秘書、えきのぶゆきと交際していた。平成一一年(一九九九年)施行の山口県下関市長選挙では、安倍議員が支持する候補が当選したところ、被告人小山は、同候補を支援する活動をして当選に寄与したとして、佐伯秘書に対し、絵画の買い取りを名目に現金五百万円の支払いを要求し、同秘書をして三百万円を工面させた。その後も被告人小山は、安倍議員に面会して金員の支払いを要求したが、同議員側からこれを拒絶されたため、要求に応じなければ同議員の政治生命を絶つ旨の電報を送り付けるなどした》

 この冒頭陳述の内容は一部メディアで報じられたが、実際に小山がどんな「選挙協力」をしたのかは明らかになっていない。安倍事務所と小山の詳しい関係もわからず、安倍の秘書だった佐伯伸之(現下関市議)が「工面」したという三百万円についても実際に小山の手に渡ったのかどうかなど不明な点が多く残されていた。

 しかし、九月下旬に下関入りした共同通信社会部の取材チームは、このナゾに包まれた事件の全体像を解明することに成功したのだという。

 再び前出の共同通信記者の話。

「現地入りした記者たちは、下関市長選前に小山らが対立候補Kを中傷する文書をまいていたことを突き止め、安倍の秘書だった佐伯を『あなたが小山に中傷文書をまくように指示したのではないか』と追及したそうです。一回目のインタビューでは佐伯は全面否定したが、翌日の二度目のインタビューで、中傷文書の元になる資料を小山に見せたことと、小山に三百万円を渡したことを認めた。資料を小山に渡したかどうかは記憶が定かでないとあいまいな答えをしたそうです」

下半身スキャンダル

 佐伯が小山に「見せた」という資料は、『週刊アサヒ芸能』(九五年一〇月五日号)の「独占スクープ 大手商社OLが捨て身の『不倫激白』!『私の裸体を弄んだあの新進党代議士を許さないッ」という記事だった。

 代議士の名前は仮名になっているものの、学歴や職歴、当選の経緯はKと同じ。代議士と男女関係にあったという当時二六歳の女性が登場し、肉体関係も含む「交際」について詳細に告白している。女性は代議士の秘書経由で知り合ったと言い、毎日のように都内のマンションで代議士とのおうを楽しんだとも語っている。いわゆる「下半身スキャンダル」である。

 現地入りした記者たちは、福岡拘置所に拘留中の小山に接見し「自分の会社に佐伯が来て、Kつぶしを依頼された。佐伯から受け取ったアサヒ芸能の記事をもとにKの実名と写真が入った中傷文書を作らせてばらまいた」という証言も引き出した。

 さらに記者たちは、安倍地元事務所の筆頭秘書と小山の間で交わされた「念書」の存在も突き止めている。下関市内の開発事業に特定業者を入れないことを約束する内容で、筆頭秘書は記者たちの取材に対し、この念書にサインしたことを認めたという。

 記者たちが解明したという事件の全体像は果たして真実なのか。それを知るため、私たちは下関に向かった。

 下関市近郊の田園地帯。事件当時に安倍の地元秘書を務め、現在は下関市議となっている佐伯伸之の自宅は、平成一七年二月の合併で下関市に組み込まれた旧きくがわ町の中心部にあった。

 何度目かの訪問の末、早朝にようやく会えた佐伯は、寝起きのためか髪は乱れ、せた体をくたびれたスポーツウェアで包んでいた。佐伯は「昨夜は遅くまで飲み会があったもので」と言いながらインタビューに応じた。

 ──九九年の市長選でばらまかれた中傷文書の資料を小山に渡したのか。

「当時、Kの彼女の手記がアサヒ芸能にバーッと出た。それで、僕は『こんな記事が出るヤツは国会議員の資格がない』と小山に言うた。小山も『あー、そりゃそうだ』と。小山はその記事をバラまけと僕が言うたっちゅうんだが、僕はそんなことは言うとらん。大変迷惑な話ですよ」

 ──記事を見せたのは事実だが、中傷文書をけとは言っていないと。

「そうそう、そこなの。僕はね、晋三さんのために非常に努力した。お父さん(安倍晋太郎)が亡くなった後、安倍派が分裂して、お父さんまでは応援したけど、息子まではやらんという人がかなりおったんですよ。僕はそのころ菊川町議だったけど『先生、暇があったら事務所に出てきて』と安倍事務所から言われてね。そりゃ安倍家に恩義があるから『晋ちゃんのために頑張らにゃいけんなぁ』と(晋三の支持票を集めるため)歩き回った」

 ──単に記事を見せただけで、なぜ小山は五百万も払えと要求したのか。

「そりゃね、僕だったら取れると思ったんじゃない、小山が。僕は『そんなカネない』と断ったんですよ。そしたら三百万でいいと言い出した。『三百万でアジサイの花の絵を買え。これ(絵)を持ったらいい財産になるから』と。三百万でも、僕らにとったら大金だけど、晋三さんに迷惑かけるわけにもいかないからね。それに、小山が毎日毎日家に来るし、鬱陶しい話に早くケリつけたかったから、自分の土地を処分して作ったカネのなかから三百万円を支払った」

「ドロドロした実態」

 おそらく佐伯は共同通信の取材にアサヒ芸能の一件を認めてしまっていたから、私たちの取材にもすんなり答えたのだろう。佐伯の重大証言を引き出したとき、共同の記者たちは内心で「やった!」と小躍りしたに違いない。

 私たちは中傷文書の攻撃を受けたKにも会った。Kは共同通信の取材を受けたことを認めたうえでこう言った。

「安倍事務所の体質からいって、あの事件は佐伯一人で処理できる話ではない。だけど、地元は完全に安倍事務所に牛耳られているから真相が表に出ることはないんじゃないか。あの事件に限らず、安倍直系の江島市政では談合とか選挙違反とかいろんな不正が無法地帯のように横行している。『美しい国』とか『再チャレンジ』とか、地元を知っている私に言わせれば、へそで茶がわくっていう話だよ」

 共同通信の記者たちが取材した跡をたどっていくと、彼らが記事にしようとした通り、こんな事件の輪郭が浮かび上がってきた。

1)安倍事務所の秘書だった佐伯が長く交友のあった小山に中傷文書の元となる資料を提示し、(2)小山側が資料に基づいて対立候補Kの実名と写真の入った中傷文書を作成してバラまいた。さらに(3)後になって絵画買い取り名目で五百万円を要求し、(4)佐伯から三百万円を受け取ったものの、さらなる要求を拒否されたため小山が高野組を使って五回にわたり火炎瓶を投げつけた──。

 その上、安倍事務所側と小山との間で交わされた「念書」の存在を確認したというのが事実ならば、安倍事務所と小山の間にはさらに奥深い関係があったと言っていいだろう。いずれにせよ、差し止められた記事は事件の核心を突く貴重なニュースだったといっていい。前出の共同通信記者の話。

「もちろん安倍首相本人が事件に直接関与したという証拠はなく、超特大の特ダネというわけでもないが、ナゾの多い事件の全体像に迫る意味のある記事だった。『美しい国づくり』を掲げて就任した新宰相のお膝元のドロドロした実態を広く伝えることにも十分に意味がある。ましてや社会部長自身も認めていたように取材は十分だし、仮に安倍サイドから訴えられても負けない材料は揃っていた。いつものように加盟社に配信していれば、全国の地方紙の紙面を大きく飾ったはずだ」

権力の監視

 九月二〇日ごろ、出口が率いる取材チームの報告を受けた社会部長の牧野は「面白い。それで行こう」と、記事の出稿に大乗り気だったという。部長のゴーサインを得て、原稿の作成作業がはじまり、事実の概要を伝える本記と、佐伯との一問一答が完成した。

 ところが、複数の共同通信記者の証言によると、二三日ごろになって突然、牧野の態度が変わり、記事の配信に難色を示しはじめたという。

 九月二八日に開かれた社会部のデスク会で牧野はこう発言した。

「出口デスクを中心に安倍疑惑を取材している。下関市長選をめぐる話だ。内容的には面白いと思ったけど、調べてみると三百万円のやりとりは既に報じられている。記事はしっかりしていて訴訟になっても負けることはないが、政権発足直後の第一弾としてはインパクトに欠ける。向こうが対抗措置をとってくるかもしれないので、これだけでは闘えない。当面記事は出さないという判断をした」

 ──内容はしっかりしていて訴訟にも負けないのなら、なぜ出さないという選択になるのか。安倍に一発で大打撃を与える記事なんてそう出せない。

「出口デスクも同じようなことを言っていた。平時なら出せる。今のタイミングは相手のガードも堅い。自分たちに政権が刃をむけてくる」

 ──仮に大きなインパクトのある事実が見つからなかった場合、この記事はボツにするのか。

「いや、ボツにするとは言っていない。十分成立している記事だ。状況が変われば出せるだろう」

 ──状況とはいったい何か!

「わからないなあ。いま言ったようなことだ。いまこの記事で勝負はできない。いつになったら出せるようになるかはわからない。でも、状況は十分変わりうる」

 ──こんなことでは何も書けなくなってしまう。自粛するのか。

「自粛ではない。何も書けないという状況にならないようにしなければならない。戦略的(判断)というか。いま無防備に出せない」

 ──(ニュースの)強弱の判断は難しい。相手のリアクションもイメージできない。抽象論だ。

「一種の勘のようなものだ」

 ──記事を出したら(官邸に)取材を拒否されるとか、そういう判断もあったのか。

「それはメインの理由ではない。僕は部長だからそういう判断もなくはない。(記事の)ニュース性から考えた。苦労が無にならないよう努力する」

 ──部長の話は解せない。何も書けなくなる雰囲気になるというリスクを認識していて、なおかつ出さないのはなぜか。ニュース判断以外の、何らかの外的要因は本当になかったのか。

「リスクや全体(状況)を考えた。士気が落ちるだろうかとも考えた。そのうえでの判断だ。気持ちはわかるが、引き続き取材をしてほしい。気を落とさないでやってほしい。お願いベースの話だ」

 ──やっぱり納得できない。何とか記事を出せないですか。デスクの一人としてのお願いです。

第一章 もみ消されたスキャンダル(2)

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