ジャイアント馬場が「チビでも商売ができる」と初めて軽量級に目を向けたのは、新日本の〝ドラゴン〟藤波人気と初代タイガーマスク(佐山聡)の出現がきっかけだった。
馬場は新日本に対抗するために、大仁田厚をジュニアヘビー級路線の尖兵に起用、人材確保と育成に着手した。81年4月、タイガーマスクの出現と大仁田の台頭の時期がちょうどリンクする。
海外武者修行中の大仁田は82年3月7日、米国ノースカロライナ州シャーロットでチャボ・ゲレロを破ってNWA認定インターナショナル世界ジュニアヘビー級王座を獲得、ようやく全日本の新星として注目されるようになった。
このNWAインター・ジュニアのベルトは以前、新日本の木…
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