詐欺師の周りには詐欺師と同じ価値観(カネに色はついていない、カネはカネだ)を持つ者たちが無数に存在する
詐欺師たちはいかなる手口を使い、どんな人間を嵌めるのか? なぜ被害者が後を絶たないのか――? 溝口氏の面目躍如、現代日本の闇を暴く力作です。

第一章 「伝説の詐欺帝王」前史

 半グレ集団の黒幕、キャバクラ嬢のパトロン

「オレオレ詐欺の帝王」本藤彰には若いころから伝説がつきまとっていた。

 どういう伝説かといえば……、

 イベサー(イベント・サークル)世界の帝王、イベサーのケツモチ(後見人)上がりのヤミ金融・振り込め詐欺の帝王、歌舞伎町五人衆の筆頭、有名キャバクラ嬢のパトロン、半グレ集団関東連合の黒幕、山口組山健組系組長の企業舎弟、数百億円を握った正体不明の大物……といったものである。

 本藤については過去、2ちゃんねるなどの匿名掲示板やSNSなどで多くの噂が取り沙汰され、インターネット上には、本藤彰という人間は「存在しません、騙されないでください!」と注意を呼び掛けるページさえ見られた。

 だが、言うまでもなく本藤は実在の人物である。実在を疑われるのは、これまで彼が極力表に出ないようにしていたからにすぎない。前記したように、筆者は何度か彼にインタビューを重ねている。

 本藤について伝えられる上記のような都市伝説はかなり具体的な事項を含むが、その中で明白な誤りは「関東連合の黒幕」「山健組系組長の企業舎弟」だけだろう。彼は暴走族の出身者ではないし、関東連合に属したことも、関東連合の名を騙ったこともない。また山口組に限らず、住吉会、稲川会などの幹部たちとパイプを通じていたことはたしかだが、暴力団にゲソをつけた(籍を置いた)ことは一度もない。

 本藤は三年前、特殊詐欺からいっさい手を引き、今は暴力団や半グレ集団と交際していない。法的にはカタギである。

 以下、本藤がどのようにして「ヤミ金・振り込め詐欺の帝王」にのし上がるための基盤をつくっていったか、彼自身の口と関係資料を通して明らかにしていきたい。

 そのことからヤミ金・振り込め詐欺がどのような形で成立したのか、どのような者がその業に従ったのか、その業がどのような性格のものなのか、おのずと浮き上がってくるはずである。

 本藤の外見は企業の中間管理職風で、物腰は穏やか。話す内容は的確だが、かなり早口である。

 一九七六年、九州の某県で生まれている。生家は阪急百貨店に卸すなど手広く日用品の卸商を営み、経済的には恵まれていた。大学に受かる一八歳まで九州で育っている。父親からは「東京六大学なら入学を認めるが、六大学に一つも受からないようでは、大学進学は認めない」と釘を刺されていた。

 九五年、東京六大学の一つに現役で合格、経済商業関係の学部に進んだ。そこは念願の志望校ではなかったが、浪人してまた受験勉強を続けるのは堪らないと思い、心ならずも入学を決めたと本人は語っている。

 本藤は上京し、京王線の沿線に住んだ。

 九州からポッと上京したのだ。大学には一人の知り合いも友人もいない。一人だとなにもできないなと痛感したという。

 そのうち四つ年上の後藤研二(仮名)と親しくなった。後藤の父親はのちに、警視総監になるのだが、後藤自身は大学付属中学校にいたころから非行化し、渋谷を拠点に遊び歩いていた。付属高校に進んだころには渋谷のチーマーだった。

 ウィキペディア「チーマー」の項は、次のように説明している。

〈彼らは、渋谷センター街などでたむろしてグループ同士で抗争を行ったり、一般人に喧嘩を売る、パーティー券などの押し売りをする、等を行うようになり、(略)一九九二年から一九九三年頃の渋谷では、店舗が軒並み閉店した深夜の渋谷センター街を大量のチーマーが占拠する事態に発展していた〉

 チーマーは、エスカレーター式に大学に進める安心感からか、付属高校や付属中学の生徒が多かった。後藤もその一人だったが、警察高級官僚の父親が彼の素行を見かね、彼を付属高校から英・ロンドンの高校に送り込んだ。三〜四年後、日本に戻った後藤は学習院大学に入学した。後藤は現役で入学した者より四年も年長だったから友人ができにくく、大人びたところのある本藤と学外で親しくなったのだろう。

 当時、渋谷を拠点にするチーマーのグループにUがあった。本藤は後藤に道案内される形で短期間、Uに関係した。本藤によれば、Uは単車に乗らない暴走族のような集まりだったという。

 当時、高校生でチーマーだった者が大学に入ってやることはイベサーだった。本藤と後藤もイベサーに関係した。本藤が入部したのは大学の公認サークルだった「サイドキックス」である。

「ここは公認サークルなので、大学から割に広い部室を与えられていた。それを自由に使える。ぼくは授業には寝坊しても、ここには毎日顔を出してました。当時はやりだったコギャルやサークルに入っていない人間などもおおぜい顔を出して、溜まり場になっていた」(本藤)

 「ツヨメ」「チャライ」「オラオラ」

 イベサーと言われても、世代が違えば分からない。解説が必要だろう。

 荒井悠介という人物がいる。現在、慶応義塾大学SFC研究所上席所員とのことだが、この荒井は二〇〇一年に明治大学に入学後、渋谷のイベサー「ive.」に参加した。荒井は一九八二年生まれだから、本藤より六歳下、本藤も当時の荒井についてはうろ覚えに記憶している。

 荒井は渋谷「ive.」時代の体験をもとに『ギャルとギャル男の文化人類学』(新潮新書)を著している。

 荒井は同書の中で、イベサー文化を支える「サー人」(イベントサークルに所属する人間)たちの価値観に言及し、こう記している。

〈「ツヨメ」が社会的逸脱、「チャライ」が性的逸脱であるなら、「オラオラ」は道徳的逸脱を表す。社会的な経歴に傷をつけない程度の反道徳的行為や態度、逮捕などの危険性が少ないグレーな仕事や知識などが「オラオラ」である〉

 昔でいえば、ヨタってトッポイ大学生がサー人だったのだろう。学問の世界とは遠いが、少し崩れた人間の方が社会に出てから使えるといった評価もあり、オラオラ的な態度や生活はさほど異とするに足りない。

 イベントサークルの最盛期は一九八〇年代のバブル期である。七〇年代に大学別のサークルから大学を問わず横につながるインカレ(インターカレッジ)が主流になり、それがさらに「リーグ」と呼ばれる上部組織にまとめられ、共同催事を行うケースが増えていった。リーグは傘下のサークルを動員して合同ディスコパーティーなどを開き、それにミズノや日産自動車、JTBなどが協賛して、企業化を強めていく。

 このころのイベントサークルを代表する人物としては西川りゅうじん(商業開発研究所レゾン所長)が挙げられる。本藤の一つ上の世代にとっては、西川は攻守ところを変えて、スポンサーとして登場している。

 本藤が当時を振り返る。

「イベントサークル時代、ぼくらが破竹の勢いで進撃できたのは、イベサー時代の初期をつくった人間たちが食いつぶした跡だったからという事情もあります。

 ぼくが入った『サイドキックス』ではKという男が入ってきたチーマー連中を引き受け、入部当初には部員が一〇〇人もいた。ところがKは毎月パーティー券をわれわれに売らせた。麻布十番のディスコ『マハラジャ』を借りてやるパーティーですが、一五万円で借りられるところ、われわれには四〇万円だと言って毎回二五万円抜いていた。

 毎月のカネ集めに耐えられず、残ったのはぼくを含め一〇人ほどでした。Kのやり口はちょっと汚い。Kなど上の人間を追い出して、われわれが乗っ取ろうとなりました」

 そのころリーグクラスを仕切る大先輩にSTがいた。STは「トライアローグ」という上位レベルのサークルを立ち上げ、「各サークルで天辺にいる者は集まれ」と声を掛けた。

 このSTは東大出身で、後にマッキンゼーに入社する男である。とにかく頭が切れる、口が達者、お金を持ってくるのが得意ということで、STは後輩たちに慕われていた。

「一度麻布十番の『マハラジャ』でSTから声を掛けられた。『お前、本藤か。頑張れよ』ぐらいなものでしたが、とにかくぼくも『トライアローグ』に参加し、彼の差配を間近に見て、これはすごい、勉強した、という気になりました。

 彼のすごいところは、住吉会の福田晴瞭前会長の息子や、後に稲川会の本部長になる稲川英希(稲川会三代目・稲川裕紘会長の長男、引退)君をアゴで使っていたことです。

 英希君とは学生時代、何回か遊びましたが、彼は当時、駒沢公園近くのマンションに住み、覚せい剤をやっていた。遊びに行くと、『お前もやれよ』なんていわれましたが、STは英希君に対しても『お前、変な遊びすんじゃないよ』と平気で注意していた。英希君もあっさり『あ、ごめんね』と流してました」(本藤)

 そのころ日比谷のディスコ『ラジオシティ』には毎週金曜に稲川英希が、麻布十番の『マハラジャ』には福田前会長の長男がよく顔を見せていた。両店ともドレスコードをつくるなど(週末には特に)裕福な学生層を主要ターゲットにする営業を展開していた。その関係でSTとも知り合ったのだろう。

「一度『逗子マリーナ』だったか、STは巨大イベントをやりました。日産自動車がスポンサーになり、一流化粧品メーカーが商品を提供するなど、一億円近いカネを集めた。学生サークルというより学生を使って企業からカネを引っ張る人物で、これはかなり勉強になりました」(本藤)

 大きなイベントには暴力団がちょっかいを出してくる。だが、そのイベントに稲川会、住吉会という大暴力団幹部の子息が加わっていれば、暴力団も迂闊に手を出せない。STにはそういう計算もあった。

「一度、暴力団が怖くないですかと聞いたら、

『全然怖くない。というのは、暴力団は損得勘定で生きているから、俺を殺してもメリットがないと知ってる。殺して懲役二〇年より俺を利用した方が得に決まっている』

 と、言ってました。ぼくが暴力団への対応を学んだのはSTのこの言葉が大きい。結局、暴力団もSTのような頭の切れる人の手の上で踊らされるんだと思いました」(本藤)

 本藤はチーマーやサー人と交際するうち、彼らの世界で何が重要か、素早く読み取っていった。

 サークルに所属する者も、誘われてイベントに参加する者も、目的はディスコなどでの夜遊びやナンパである。サークルのリーダーにとってはパーティー券を売り捌くことで収入も見込めた。

 本藤が入学した九五年はすでにバブル経済が崩壊して四〜五年たっていたが、それでもまだバブル期の余韻はわずかながら残っていた。サークルはほとんど大学別のサークルではなくインカレで、どこの大学生でも参加自由だったから、集客に成功しさえすれば、学生という身分ではあり得ないような多額を稼ぐことができた。

第一章 「伝説の詐欺帝王」前史(2)

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