哲学者・鶴見俊輔は戦前のアメリカで何を見たのか――
一九三〇年代後半米国に留学し,三〇年後そのインドシナ介入に対し積極的な反戦活動を進めている著者は,北米の民主主義的伝統を再考しつつ,それを黒人や原住民の側からとらえ直すことを試みる.文芸批評家,詩人,SNCCの活動家,黒豹党の行動と思想を追求する中で著者の北米体験は深刻な反省を強いられ,新たな米国像が浮彫される.

批評の二重の性格

 マシースンが自分の方法を、はっきりと示したのは、『批評家の責任』(一九四九年)においてで、それは、彼の自殺に一年ほど先だって一九四九年五月にミシガン大学でなされた講演の記録である。

 この講演は、思想家にとってもっとも重大な場所は、たたかいがたたかわれているまっただなかだというウィリアム・ジェイムズの言葉を引いて、芸術の批評家にとって、芸術と社会とのあいだの活発な交流を計ることが主な仕事であって、その故に芸術作品そのものに深く注意を払うことが必要であるだけでなく、われわれの生きているこの社会にとって新鮮な思想をつくりだす責任をおこたってはならないという。以下はその要旨。

 一九一七年に発表された

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