なぜ被災地ではパチンコ店に行列ができるのか。そして「被災地に来てもらっては困る」人たちの正体とは『災害前線報道ハンドブック』第4章 復興フェイズ⑦
スローニュース 熊田安伸
復興フェイズの最終回です。復興が進んで行くにつれ、被災地では支援とは逆行するような、思わぬ現象が表面化することがあります。今回はいくつかの具体例を挙げていきます。
被災者がどこに行ったか分からなくなる!?
最初に異変に気づいたのは、震災の取材応援でNHK名古屋放送局から派遣された記者でした。
東日本大震災の発生から1年半後の宮城県気仙沼市。市民に送ったはずの「がん検診」の申込書が、なぜか「転居先不明」として次々と気仙沼市役所に送り返されていたのです。
さっそく記事を書き、「がん検診の申込書が戻ってしまい、検診を受けられない人が出る恐れがある」と、注意喚起をするローカルニュースを発信しました。
しかしよく考えれば、事はがん検診だけで済むはずがありません。そこで、市役所の別のセクションにもあたってみたところ、市民税の納税通知書なども次々と送り返されていることが判明しました。
なぜこんなことが起きているのか。
疑問に感じて調べたところ、住民票の住所を変更したり、転居届けを出したりしないまま、別の場所に移り住んだ被災者が多数いることが見えてきました。避難所や仮設住宅で転居を繰り返していたため、転居届けを出し忘れてしまったというお年寄りや、隣の県に移り住んだものの、いずれ地元に帰りたいと思い転居届けを出すのをためらっていたい被災者など、被災地ならではの事情がありました。
最終的に、岩手・宮城・福島の3県の被災者に対し、罹災証明書の住所をもとに送られた税金の特例還付の案内が、どれだけ戻ってきたのかを集計。すると、2360通が「転居先不明」として戻ってきたことが判明しました。この状態では、義援金の受け取りや年金の手続きなどにも影響が出るおそれがあることから、ニュース7で全国に広く報じました。
被災に限らず、転入・転出届を出していないとこうした事態は発生します。コロナ禍の2020年には、荒川区が投票所整理券を送ったところ、1674通が転居先不明で戻ってしまいました。コロナの10万円給付の申請書も送れない事態が起きていました。被災地でないところでさえ、住民が様々な事情で転入・転出届けを出さなかったことで影響が出ています。被災地ならばなおさらでしょう。
支援の手が届かなくなってはいけないと、被災地の自治体では世帯ごとの「転居カルテ」を作って対応するところも現れています。
今年の能登半島地震ではどうでしょうか。奥能登を離れた人も多く、二次避難所などを転々とした人もいます。同じような事態になっていないか、検証が必要だと思います。
「生活支援員」がいなくなる
東日本大震災の被災地で、仮設住宅の巡回による見守りや、生活相談、それにコミュニティづくりの手伝いを行ったのが「生活支援員」です。
岩手・宮城・福島の3県では、あわせて910人が生活支援員として活動していましたが、その多くを被災者自身が担いました。
ただ、復興が進んで職場が再建されると、本来の仕事との兼務が必要になってきます。仕事が本格的になればなるほど兼務が難しく、支援員を辞める人が増えていきました。発災から1年半ほどの時点で、170人以上が支援員を辞めていたことが取材で判明しました。
こうした支援の終着点は、被災地の人々が普通の生活に戻ること、つまりは既存の制度の中で生活ができることです。南三陸町被災者生活支援センターは、「要なしになること」を目標の一つに掲げていました。(社会学年報「被災住民が担い手になった生活支援員(LSA)とコミュニティづくり」本間照雄より)その意味では、復興の過程でこのような状態が生まれてくるのは致し方のないことなのかもしれません。
ただ、以前にも述べた通り、仮設住宅での孤独死は、発災の年よりも、2年目、3年目の方が増加していきます。そうした見守りとのバランスが、問われていくタイミングというものが必ず生まれてくる点についても、被災地の変化を注視していく必要があります。